「仏教の一端を学び、考える」シリーズ 第22回:人の一生は「生長躍老伝死」?
●「生老病死」は四苦のことだが
「生老病死」は四苦八苦の四苦のことと言われています。生まれること、老いること、病むこと、死ぬこと、の四つの苦しみです。
そうとは分かっていても、私は「生老病死」という言葉を見たり聞いたりすると、人間の一生を表しているように思えてしまうのです。言葉の最初に「生」があり、最後に「死」があるからでしょうか、「生まれて、老いて、病んで、死んでいく」と受け取れるのです。
●釈迦の四門出遊のエピソード
「生老病死」から生を取った「老病死」というと、釈迦の四門出遊のエピソードが有名です。
釈迦が若い頃、王城の東西南北の門を出たところで、東では老人を見、南では病人を見、西では死人を見、北では出家者を見て、出家することを決意したという話です。ここからも、人は老いて、病んで、死んでいく、という状況が伝わってきます。
仏教は、「この世を苦しみの世と捉え、どうしたらそこから脱却できるか」を問うた宗教であるため止むを得ないのかも知れませんが、どうも全般的に暗く感じられます。
●人生は「生老病死」(苦しみばかり)ではないのでは?
本当に人生は苦しみばっかりなのでしょうか。生きていること自体に喜びを感じることも本来あるのではないでしょうか。そうでなければ、生まれてくるのが嫌われて、自然に人間は生まれて来なくなると思うのです。
仏教でも、人間を構成している五蘊(ごうん。色、受、想、行、識の5つ)の受について次のように概略述べています。
「受は全ての経験に対するわれわれの『感じ方』だけではなくて、将来の経験の仕方をも条件づけます。つまり、『快』の経験は、その持続や再現の欲求を生じさせ、『苦・不快』の経験は、それを終わらせ、再現を阻止しようとする欲求を生じさせます。」
●「人生」や「生命」を肯定し勇気づける考えの必要性
仏教では一般的に生老病死の「生」すなわち「誕生」も苦しみの1つだと説明しますが、これはおかしいのではないかと思います。ほとんどの場合、赤ちゃんが産まれたら嬉しいです。誕生祝という言葉すらあります。そして赤ちゃんの誕生は一家の繁栄にも種の保存にも良いことです。
また、2~3歳の子供がお母さんと手を繋いで嬉しそうに歩いている姿を見ると微笑ましくなります。年頃の恋人同士は男女とも顔が活き活きして美しく見えます。人間以外にも、桜は咲いて奇麗ですし、鳥も良い声で鳴きます。それらを見聞きすると私は生命の喜びを感じるのです。
「人生」や「生命」を肯定し勇気づける考えがあって良い、必要だと思います。
●「老」をどう考えるか
「老」は「老(お)いる、老(ふ)ける」など年を取ることを意味する言葉ですが、その他に「長い経験を積んだ、練れた」という意味があります。中国にあるお酒「老酒(ラオチュウ)」は、蒸留酒「黄酒(ホワンチュウ)」を3年以上も甕で熟成したもので、熟成期間が長いほど味わい深いものですが、「老酒」の「老」は「練れてとても良い」の意味でしょう。
何が言いたいかと申しますと、「老」を嫌がらず、「老」の価値を認め、その良さを発揮するのが大切なのではないか、ということです。老人は自らを「老いさらばえた、後はお迎えを待つだけの身」と考えずに、何らかの貢献を周囲にしていこうとすることが、本人のためにも周囲のためにも良いことだと思います。
●人生を要約するなら「生長躍老伝死」では?
以上のことから、私は人生を一言の言葉に要約するなら「生長躍老伝死」ではないかと考えます。
生は誕生、長は成長、躍は活躍、老は老練、伝は伝達、死は死亡で、それぞれ一文字を取って繋ぎ合わせました。成長には身体的成長、学問的成長、人間的成長が含まれます。老練にはノウハウの把握と深掘りがあり、伝達にはそれらを周囲および次世代へ伝達する意味を込めています。
このように考えることによって、人生はどの世代にとっても価値あるもの、活き活き生きて行けるものになるように思うのです。
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