仏教の一端を学び、考える

2025年11月 5日 (水)

「仏教の一端を学び、考える」シリーズ 第12回:釈迦の思想(五蘊、十二支縁起)(3)

 十二支縁起について調べる過程で知ったことをいくつか書いておきます。出所は主に浅野孝雄著『ブッダの世界観』です。浅野氏は脳外科医で仏教に詳しい方です。

●参考になる事柄
 十二支縁起を考える時にとても参考になると思ったものは次の通りです。

①十二支縁起と現代の脳科学は重なり合う
 ・釈迦が説いた十二支縁起は現代の脳科学(意識理論)と共通するものがあります。
 ・脳の神経細胞から電気信号が出て脳内を駆け巡り、互いに影響し合って、脳全体を巻き込む大きな流れを生じさせます。この一連の動きが十二支縁起の各「支」の内容と似ているのです。
 ・特に十二支縁起における「触」というプロセスは、カリフォルニア大学のウォルター・J・フリーマン氏が提唱した、意識の形成メカニズムに関する理論の「行動―知覚サイクル」における知覚ループの働きとぴったり一致するのだそうです。

②実体としての存在、変化体としての存在
 ・本シリーズの「第10回:釈迦の思想(五蘊、十二支縁起)(1)」 で述べたように、釈迦の人間の捉え方は、人間は五蘊(色、受、想、行、識)で出来ているというものでした。
 ・これは、人間は「実体として固定的にあるもの」(専門用語は「実体の存在論」)ではなく、感じたものが次々と蓄積され影響し合って気づきが出来、行動していくものだという捉え方です。「変化体としての存在」(専門用語は「プロセスの存在論」)と言えるでしょう。
 ・実は現代の宇宙科学でも「変化体としての存在」が言われているようです。宇宙に関する本で読んだことがあるのですが、宇宙はビッグバンがあって以降、何億光年もの長い間、変化し続けているとのことです。
 ・釈迦は人間の心について洞察を続け、現代の宇宙科学の知識に通じる真理を感じ取ったのだろうと思います。

③「無明」は無知ではなく混沌
 
・十二支縁起の「無明→行」の二支に関して、イギリスの仏教学者リチャード・ゴンブリッジの新解釈を、浅野孝雄氏が納得できるものと推奨しています。新解釈の内容は次の通りです。
 ・「無明」のサンスクリット語の「アヴィドュヤー」という言葉は、「無知」という意味と共に「非存在、非有」という意味があります。「非有」とは全くの非存在・虚無ではなく、万物発生以前の秩序なき状態の「混沌、カオス(ギリシャ語)」のことで、「混沌、カオス」は万物を生み出すものです。
 ・「無明」が「非有」つまり「カオス」ならば、「無明→行」の二支は「カオスからの秩序の生成」と言えます。

④循環生成
 ・本シリーズの「第8回:仏教の『死の捉え方』」で紹介しましたように、浅野孝雄氏は十二支縁起を直線的なものとして捉えるのではなく、円環的なものとして捉えるべきだと述べています。
 ・直線的なものだと十二番目の支の「老死」で終わってしまい、「老死」が次なるものに繋がっていかないからです。
 ・十二支縁起を円環的なものと捉えれば、「老死」で(無くなったもの)が一番目の支の「無明」(混沌)に結びつき、やがて(新たなもの)として生じてくると考えられます。
 ・釈迦が誕生する以前から、インドをはじめアジアの農耕採取社会では自然の恵みが毎年巡ってくるという循環生成の考えが広まっていました。釈迦はその考えがとても良いものだと判断して、仏教の中に取り入れたのだと浅野孝雄氏は述べています。
 ・なお、たまたま別件で私が読んでいた本にも循環生成の話が書いてありました。梅原猛著『森の思想が人類を救う』です。循環生成の考えが日本にも昔から人々に持たれていて、多神教であり、自然や他の人々や生きものなどと共に生きて行こうとしていたことや、今後の世界にこの思想が役立つと書いてありました。浅野孝雄氏の主張と共通していました。

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浅野孝雄著『ブッダの世界観』

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梅原猛著『森の思想が人類を救う』

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「仏教の一端を学び、考える」シリーズ 第11回:釈迦の思想(五蘊、十二支縁起)(2)

 理解するのが難しいと言われる十二支縁起について調べていきます。

●十二支縁起の「支」の意味
 
ここでの「十二支」は干支(えと)とは関係ありません。「支」の漢字の一般的意味は「わかれ、えだ、本からえだのようにわかれて出たもの」ですから、十二の項目、十二の段階と考えれば良いでしょう。
 なお本シリーズの「第8回:仏教における『死の捉え方』」でも述べたように、十二支縁起とは、人の心に苦しみが生じるメカニズムを十二段階で説明したものです。そして、十二支縁起の「支」は、原語のサンスクリット語で「ニダーナ(ni-dãna)」といい、「次の原因となる」ことを意味しています。 

●十二支縁起の十二の段階
 
十二支縁起の十二の段階とは次の事柄です。
 ①無明(むみょう)、②行(ぎょう)、③識(しき)、④名色(みょうしき)、⑤六処(ろくしょ)、⑥触(そく)、⑦受(じゅ)、⑧愛(あい)、⑨取(しゅ)、⑩有(う)、⑪生(しょう)、⑫老死(ろうし)

●各「支」(段階)の意味
 
一般に仏教界で言われていることは次の通りです。各「支」の右側にかっこ書きしたものは岩波書店刊『仏教辞典 第二版』による簡潔説明です。補足説明を浅野孝雄著『ブッダの世界観』を参考にして書きます。浅野孝雄氏は脳外科医で仏教に詳しい方です。

①無明(無知)
 ・人生や事物の真相に明らかでないこと。
 (このことを、「釈迦の教えを知らないこと」と解釈し説明する人たちがいますが、私は素直に頷けません。釈迦が「自分の教えを知らないことが苦しみの原因だ」などと説くとは思えないからです。あえて、こうだったなら納得がいくと思った解釈は「世の中は絶えず因縁果で変わっていき、ものは生じ滅していく、ということを受け入れられず納得できない人は、安らぎを得られず苦しむ」というものです。)   

②行(潜在的形成力)
 ・過去や現在に起こった事柄が、人間の心身に埋め込まれて、それが意欲・志向性・煩悩などとして出てくること。
 ・「行」が「形成力・意欲・志向性」として「識」を生み出す。

③識(識別作用)
 ・心のあらゆる作用のベースとなる、認識する働き。気づき。

④名色(名称と形態)
 ・名色とは名と形のこと。
 ・識(気づき)を固定的な名(言葉)と形(イメージ)に変換すること。

⑤六処(六つの領域)
 ・眼耳鼻舌身意の感覚器官が対象とする六つの認識領域(見えるもの、聞こえるもの、匂い、味、触れるもの、法(事物))。

⑥触(接触)
 ・意識を持って感覚器官が感覚対象に接した時(例:詳しく見ようと思って物を見た時)、それは知覚となり、経験となっていく。

⑦受(感受作用)
 ・すべての経験が、苦・楽・苦でも楽でもないもののいずれかとして感受されること。

⑧愛(渇愛)
 ・仏教において愛(渇愛)は、砂漠にさまよう人が渇を満たす以外に何物も考えられないような、非常に強い欲望のこと。

⑨取(執着)
 ・快なるものを繰り返し、手を伸ばして掴もうとすること、あるいは苦を与えるものからは遠ざかるようにすること。 

⑩有(生存)
 ・生きものの生存状態、生存領域。
 ・生存領域は欲界、色界、無色界の三つある。欲界は欲望にとらわれた生きものが住む世界で、最下層の場所。色界は物質的な欲からは離れていないが淫欲と食欲を離れた生きものが住む世界。無色界は欲望からも物質的な欲からも離れた高度に精神的な世界で最上層の場所。

⑪生(生まれること)
 ・老死を導くもの。

⑫老死(老い死にゆくこと)
 ・耐え難い苦悩。

●十二支縁起の繋がり、論理が分からない
 以上、十二支縁起の各「支」についてその意味するところを見てきましたが、正直言って、私には各「支」の繋がり、論理がよく分かりません。五蘊(色、受、想、行、識)はなんとか繋がりが分かるような気がしたのですが、五蘊をより細かく分解し論理立てた十二支縁起は理解できません。
 仏教界での一つの解説としては、胎児が育ってくる過程と重ね合わせて人間の意識が作られてくるというものがあるのですが、それも種々の矛盾があって私は受け入れ難いです。
 十二支縁起の全体としての繋がりが分からないので、せめてその一部でも納得がいき、自分の仏教の学びに参考となることはないか方向転換して調べてみました。次のシリーズ第12回では、そのことについて書きます。

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2025年10月28日 (火)

「仏教の一端を学び、考える」シリーズ 第10回:釈迦の思想(五蘊、十二支縁起)(1)

●古代インドにおける思想の乱立
釈迦がいた頃の古代インドでは、商工業者による経済発展に伴って、いろいろな新しい思想が唱えられました。
その中で主な思想家の6人は六師と呼ばれ、それぞれが次のような考えを主張しました。
・プーラナは、道徳を否定し、殺生や強盗などは悪でないと主張。
・パクダは、人間の個体は地・水・火・風・苦・楽・命(霊魂)7つの要素の集合に過ぎないと主張。
・ゴーサーラは、宿命論で、意思による行為は不成立と主張。
・アジタは、唯物論で、地・水・火・風の4元素のみ真の実在であり、人間は死ぬと4元素に分解される主張。その結果、「生きている間は快楽を享受せよ」との快楽論を主張。
・マハーヴィラは、苦行による心身浄化や不殺生を主張。
・サンジャヤは、懐疑論で、判断や思考は無駄だから停止すべきと主張。
六師の思想は後の世に発展した様々な思想の萌芽と呼ぶべきものですが、この思想的混乱の中から現れたのが釈迦です。

●五蘊(ごうん)とは
蘊(うん)は原語のサンスクリット語ではスカンダーであり、意味は「集まり、集合、薪(まき)の束」です。
そのため、五蘊とは「5つのものの集まり」と言えます。
人間は五蘊(色・受・想・行・識の5つの基本要素)によって出来ているというのが、釈迦による「人間の捉え方」です。

色・・・本来は外界にある「物質全般」の意味ですが、ここでは「肉体」のことと考えると分かり易いです。
残る4つ(受・想・行・識)は内面、心の世界に関係する要素です。

受・・・外界からの刺激を感じ取る感受の働きです。
例としては、氷に触れた時に「冷たい!」と感じることがあげられます。
また、受は「痛」・「覚」とも訳され、われわれが何かを認知するときに生じる、快(かい)、苦、快でも苦でもない感情、などの印象・感覚をいいます。
受は全ての経験に対するわれわれの「感じ方」だけではなくて、将来の経験の仕方をも条件づけます。
つまり、「快」の経験は、その持続や再現の欲求を生じさせ、「苦・不快」の経験は、それを終わらせ、再現を阻止しようとする欲求を生じさせます。

想・・・考えを組み上げたり壊したりする構想の働きです。
事物の特徴を捉えること、心に思い浮かべることと言っても良いでしょう。
また、想は受によって生じた認知を概念としてまとめることと言えます。
例としては、「氷は冷たいもの」と考えをまとめることが挙げられます。

行・・・何かを行おうと考える意思の働きです。例としては、冷たいから氷に触れないようにしよう、というものです。
行は、原語のサンスクリット語でサムスカーラと言い、もともとの意味は「為す、作る、共に」です。
ここから、行は、形成力(形成の過程、形成されたもの)、意欲、志向などの意味を持つようになりました。
そして、ここが重要な点だと私は思うのですが、行は、成長などの過程で獲得したもの全てが、一人の人間の今に、意欲、志向性、煩悩などとして現れることだと言われています。
行は潜在的であり、通常は意識されないとも言われています。
つまり、ものごとに接して感じ取り、概念としておおよそ捉えると、経験や知識として体内に蓄積され、それらが無意識のうちに人間の行動に影響を及ぼすということでしょう。
「感じ取る」という受け身の行為が「行動する」という能動的なものに変化してくるように思われます。

識・・・心的作用のベースとなる認識の働きです。
識とは、「区別する」ことによって「知る、認識する」ことであり、「分別」とも訳されています。
識(知性)によって、人間を五蘊として理解し、その業を形成する原因である三毒を滅するように、意識的に努力していくことが、その人自身を救うことになると考えられています。

●釈迦の問題意識と人間の捉え方
釈迦の問題意識を振り返って考えれば、それは、「苦は人のどのような心の働きによって生じるのか?」です。
釈迦の人間の捉え方は、「人間は色・受・想・行・識という5つのものの集まり」というものでした。
その5つのものが縁起の法則(直接的な原因と間接的な原因(縁)が結果をもたらし、その結果がまた原因となっていく)によって影響しあっていく。
それが人間の「心身」であると捉えたのです。
言い換えると、人間の存在は「絶え間なく姿を変える意識の流れ」と捉えたと言えます。
これは唯物論や現代の自然科学に基づく人間観にどっぷり漬かっている現代人にはなかなか理解が出来ない内容ですが、釈迦は「人間を絶え間なく姿を変える意識の流れ」と捉えたのです。
縁起の法則、万物流転の思想から言えば、そういう捉え方になるのかと思いました。
なお、釈迦は、死後の世界がどうなるかなど、知ることが不可能なものを探るのではなく、心の観察によって誰もが知ることのできる「心の構造」を明らかにしようとしたのです。

釈迦の問題意識と人間の捉え方に関連して、現時点での私の理解、ないし思い付き的な気付きを以下に書いておきます。
今後、仏教について学んでいく時の検討項目になるかもしれないと思うからです。
・「一切皆苦(世界の全ては苦)、苦の原因は煩悩」と一般に言われていることが、理解を難しくしているのではないでしょうか。全ての苦しみが煩悩によって起こるとは言えないと私は思うのです。
・釈迦が言いたかったこと、したかったことは、
   ①人間は肉体と心が混ざり合い影響し合って出来ている。もしくは肉体を依り代として心が住みつき、心が変化していく、「心的変化が人間」ということを言いたかったのでは?
   ②心的苦しみがどうして発生するのかを明らかにしたかったのでは?

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2025年10月27日 (月)

「仏教の一端を学び、考える」シリーズ 第9回:釈迦の思想(四諦、八正道)

●釈迦の思想のベース
釈迦(ブッダ)が出家をしようと考えた「きっかけ」は、釈迦が都の4つの門から外出した時に、それぞれの所で老人・病人・死人・出家者を見たことと言われています。
この話は一般に「四門出遊」として知られています。
この話から言えることは、釈迦に出家を促した直接の動機は民衆の苦しみに対する深い同情だったということです。
当時、多くの修行僧が求めていた自分自身のみの救済とは全く目的が違うものでした。
釈迦は、全ての生きものに対する同情の念(慈悲)を基に、あらゆる人間の(精神的)救済を行なおうとしたのです。
この精神的に救済され、心が安らぐ状態のことを「覚り」と捉えると分かり易いです。

●覚りへ至る道
釈迦が説いた「覚りへ至る道」の内容は「四諦(したい)」と「八正道(はっしょうどう)」です。
四諦の「諦」は、「アキラメル、断念する」の意味ではなく、「あきらかにする、あきらかなもの、まこと、真理」の意味です。
四諦とは、苦諦(くたい)、集諦(じったい)、滅諦(めったい)、道諦(どうたい)の四つの真理のことで、それぞれの意味は次の通りです。
①苦諦(くたい)・・・「迷いの生存」は苦であるという真理です。
「迷いの生存」とは、この世のものごとが因縁果で全て結びついているという真実を知らないで生きていることです。
なお、一部の仏教解説書では「苦諦を、“人生皆苦、この世は苦に満ちている”という真理」と説明しているものがありますが、私はこの解釈では救いが感じられず、受け入れることが出来ません。
釈迦も精神的な救済をしようとして、煩悩の撲滅ということに思いが至ったのだと思います。
②集諦(じったい)・・・苦の原因は渇愛のような煩悩であるという真理です。渇愛とは、喉が渇いた人が激しく水を求めるような激しい愛着のことです。
③滅諦(めったい)・・・渇愛が完全に捨て去られたときに苦が死滅するという真理です。
④道諦(どうたい)・・・苦の死滅に至る道筋が八正道にあるという真理です。
この四諦、苦集滅道は次のように解釈すると分かり易いです。
苦は苦しみが溢れているという病気の症状、集は病気の原因、滅は病気の回復、道は病気の治療方法と理解できます。
八正道とは、苦の死滅に至る道筋、煩悩の消滅を実現するための八つの道のことです。
八つの項目の簡単な説明文は、左側が浅野孝雄著『ブッダの世界観』、右側の( )書きが仏教学者の佐々木閑著『100分で名著 般若心経』からのものです。
①正見・・・・正しい見解   (正しいものの見方)
②正思・・・・正しい思惟   (正しい考え方をもつ)
③正語・・・・正しい言葉   (正しい言葉を語る)
④正業・・・・正しい行い   (正しい行いをする)
⑤正命・・・・正しい生活   (正しい生活を送る)
⑥正精進・・・正しい努力   (正しい努力をする)
⑦正念・・・・正しい思念   (正しい自覚をもつ)
⑧正定・・・・正しい精神統一 (正しい瞑想をする)
以上が四諦と八正道の説明ですが、八正道は八個も項目があるので、ちょっと理解しづらいです。

●参考・・・八正道と三学
そこで、参考として八正道の項目を三つのグループに分けてみます。
そうしますと、八正道が仏教でいうところの「三学」になることが分かります。 
八正道の、③正語(正しい言葉を語る)、④正業(正しい行いをする)、⑤正命(正しい生活を送る)の三項目は、「悪いことをせず、善いことを行なう」というグループにまとまります。
次に八正道の、⑥正精進(正しい努力をする)、⑦正念(正しい自覚をもつ)、⑧正定(正しい瞑想をする)の三項目は、「精神を統一し、思いが乱れないようにする」というグループにまとまります。
最後に八正道の、①正見(正しい物の見方)、②正思(正しい考え方をもつ)の二項目は、「静かになった心で、正しく真実の姿を見極める」というグループにまとまります。
これら三つのグループは順に、戒(かい)、定(じょう)、慧(え)と呼ばれ、それらを学ぶことを戒学(かいがく)、定学(じょうがく)、慧学(えがく)と言います。
そしてこれらの三つを合わせて「三学」と言います。
三学とは、仏道を修行する者が必ず修めるべき三つの基本的な修行の項目です。
三学の戒学、定学、慧学は次のような関係にあります。
戒を守り生活を正すことで、精神的に安定し(定:じょう)、安定して澄んだ心によって智慧を発する。
智慧は真理を悟り悪を断ち、生活を正し、仏教が体現されていく。
★私見・・・上記から、八正道は三学そのものであり、仏教の習得・実践の必修科目と言えそうです。

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2025年10月26日 (日)

「仏教の一端を学び、考える」シリーズ 第8回 仏教の「死の捉え方」

●仏教と「死」
仏教は宗教ですから死について多くのことが述べられているはずと思っていましたが、調べてみたら実は意外と述べられていることが少なかったです。
仏教の創始者である釈迦が、死後のことについてほとんど語っていないのです。
そのため、現時点で知っている「仏教に出てくる死に関する事柄」を挙げて整理してみます。
そして「死」について自分なりの考えを持てれば良いなと思いますが、「死」は人生の一大事ですから、そう簡単には結論が出ないでしょう。
今後時間をかけて、「仏教に出てくる死に関する事柄」をベースにして、「死」について考えていくようにします。

●「仏教に出てくる死に関する事柄」
私が現時点で知っている「仏教に出てくる死に関する事柄」を列挙すると次の通りです。
① 四苦八苦の「生老病死」
② 仏教説話で「死人の出ていない家は無い」という話
③ 昔よく言われた「死後は天国か地獄へ行く」という話
④ 六道輪廻(ろくどうりんね、りくどうりんね)
⑤ 倶会一処(くえいっしょ)
⑥ 生死一如(しょうじいちにょ)
⑦ 十二支縁起と死
⑧ 釈迦は死後について、ほとんど語っていない
それぞれについて内容を見ていきましょう。

●生老病死
苦しい状態を表す言葉に「四苦八苦」というものがありますが、この言葉の元は仏教です。
八つの苦しみがあると仏教では言っているのですが、「四苦」に焦点を当てれば、
四苦とは、
生苦(しょうく。生まれる苦しみ)、
老苦(老いる苦しみ)、
病苦(病む苦しみ)、
死苦(死ぬ苦しみ)
の四つです。
それぞれの最初の文字を並べて「生老病死」と表現されています。

ところで、仏教の経典が書かれたサンスクリット語(古代のインド語)では、「苦」はダッカ(duhkha)で、元々の意味は「意の如くならないこと」です。
つまり、生老病死は「意の如くならない、思い通りにならない」ことと解釈できます。
「なぜ意の如くならないか?」と考えてみますに、おそらく諸々のことが変化していくからでしょう。
私にはそう思えます。

●死人の出ていない家は無い
仏教説話に以下のようなものがありました。
・キサーゴータミーという若い母親が、可愛い子供を亡くして嘆き悲しみます。
・その若い母親は釈迦に子供を生き返らしてほしいと頼みます。
・釈迦は生き返らす薬を作るために芥子の実をもらってくるよう、母親に言います。
・ただし、芥子の実はこれまでに死人の出ていない家からもらってくるように。そうでないと薬にならないと話します。
・母親は必死に何軒もの家を巡って芥子の実を求めましたが、死人の出ていない家は一軒もありませんでした。
・そこで、母親は「死が避けられない」ことを知ったのでした。

●死後は天国か地獄へ行く
かつて日本では、「人は死んだら、天国か地獄へ行く。どちらへ行くかは、生きている時の行いの善悪による」とよく言われていました。
これは次に述べる「六道輪廻(ろくどうりんね)」の考えを単純化し、分かり易く述べたものです。
生まれ変わりの考えに倫理観を結び付け、善い行いを勧めていたものと思われます。

●六道輪廻(ろくどうりんね)
釈迦は死後に関して自らの考えを述べていません。
釈迦が亡くなった後、ヒンズー教の「輪廻(りんね)」思想が仏教に入りました。
輪廻とは、生ある者が生死を繰り返すことです。
生まれ変わる場所として十の世界(十界。じっかい)があるとされました。
地獄界、
餓鬼界、
畜生界、
修羅界、
人間界、
天上界、
声聞界、
縁覚界、
菩薩界、
仏界、
です。
このうち、地獄界~天上界までの六界(六道)に、ほとんどのものは無限に生死を繰り返すとされ、それが「六道輪廻」と言われました。
そして古代インドでは、無限に生死を繰り返す輪廻から脱却することが望まれました。

●倶会一処(くえいっしょ)
倶会一処とは阿弥陀経で説いている教えです。
民衆に極楽浄土へ生まれるよう願うことを勧めています。
その理由は、浄土の仏・菩薩たちと倶(とも)に一つの処で出会うことが出来るからとのことです。
倶会一処の「一つの処」とは浄土のことを意味しています。
愚考と言いますか、私の拙い考え、感じることを述べますと次の通りです。
上記の「浄土の仏・菩薩たち」を、既に亡くなっている親しい人たち(例えば、父母、兄弟、友人など)と考えれば、「死」を恐れないで、楽しみもあると感じられるようになるのかもしれない、と思います。

●生死一如(しょうじいちにょ)
生死一如とは、「生と死は一つのもの」という意味です。
そして生死一如に関して仏教界で一般に言われていることは、次の通りです。
・生きているものは死にます。
・死ぬということは、それまで生きていたということです。
・死があることによって一所懸命に生きようとします。
・死を受け入れ、死の準備をして、精一杯生きて行くことが大切です(と説いています)。
愚考。ふたたび私の拙い考えですが、私はこのようにも思います。
・生と死は繋がり、影響し合っているから、「生と死は一つのもの」と言われている
 面もあるのではないでしょうか?
・生死が繋がっていず、一つの延長線上にない(本質的に同じものでない)とすれば、これまでの無数の命の誕生と死亡はなかったように思うのです。

●十二支縁起と死
十二支縁起とは、人の心に苦しみが生じるメカニズムを十二段階で説明したものです。
十二段階の説明の出発点は無明(苦悩の原因は因果の道理に対する無知)で、終着点は苦悩の最たるものの老死(老い死にゆくこと)と述べられています。
十二支縁起の十二の段階を逆に遡って原因を解決して行けば、苦悩は無くすることが出来ると説いています。
なお、十二支縁起の「支」のそれぞれの意味については後日学習の予定です。

●十二支縁起と循環生成
脳科学者の浅野孝雄氏が下記の説を述べています。
・十二支縁起は直線的因果関係ではなく、循環的(円環的)因果関係として把握するべきです。
・十二支縁起の「支」は、原語のサンスクリット語で「ニダーナ(ni-dãna)」といい、「次の原因となる」ことを意味しています。 
・直線的因果関係では最後に来る「老死」も、循環的因果関係では十二番目の「支」として、「次の原因、つまり最初の無明の原因となる」と考えます。
 (なお、循環的因果関係では最後とか最初とかの順番も無意味になると、私=鏡は考えます)
・十二支縁起を循環的因果関係と捉えると、古代に認識されていた「自然の循環生成」の考えと重なり合います。
 (「自然の循環生成」とは、自然に多く見られる年々の繰り返しや種々のものの繰り返しのことと私=鏡は推測しました)

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●釈迦は死後についてほとんど語っていない
「生命は死に終わる」と仏典に書かれています。
「命あるものは必ず死ぬ」というのが、釈迦の考えであり、古代インドでの一般的な考えでした。
しかし、釈迦は霊魂や死後のことなどについて、ほとんど語っていません。
霊魂や死後の話などは、無益で、真理に合致していない抽象論だというのが、その理由です。
またまた愚考で恐縮ですが、釈迦は、この世で現実に苦しんでいる民衆を救うことが大切、と思っていたのではないでしょうか?
・「現世の利益を訴えるのは低俗な宗教だ」という意見をときどき聞きますが、本当にそうでしょうか?
・仏教を始め多くの宗教は、現実の苦しみから人々を救おうとして発生してきたのではないでしょうか?私にはそんなふうに思えてなりません。

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2025年10月25日 (土)

「仏教の一端を学び、考える」シリーズ 第7回:自灯明、法灯明

●自灯明、法灯明とは
「自灯明、法灯明」とは、釈迦が亡くなる前に弟子のアーナンダに伝えた教えで、釈迦の遺言とも言えるものです。
アーナンダが「師匠のお釈迦様が亡くなったら、その後は何を頼りにしていけば良いのですか?」と釈迦に尋ねました。
釈迦の答えのエッセンスは、「自分をたよりなさい。法をよりどころとしなさい」というものでした。
釈迦の答えの本来の文章は次の通りです。
「自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。」

●「島」と「よりどころ」
なぜ「(自らを)島とし、(自らを)たよりとして」、「(法)を島とし、(法)をよりどころとして」と述べているのでしょうか?
それはこういう事情からです。
釈迦が説法していたインド北部地域は雨季(8月頃)に一面が大洪水になり、家も畑も水につかります。
そんな時は、小高い丘が島となって人々の避難所になります。
島が頼れるところになるのです。
その生活実感から、たよるものとしての「自ら」や、よりどころとしての「法」を、「島」と譬えたのです。

●「自らをたよる、法をよりどころとする」とは
「自らをたよりとする」とは、一人の人間として自立した生き方をすることです。
具体的には、他者に迎合したり、隷属したり、依存したりしないことです。
ここでの「法」の意味は、「真理(普遍的に正しいこと)」、「人間として生きてゆくための規範」です。
そのため、「自らをたよる、法をよりどころとする」とは、他者に頼らず自立して、普遍的に正しいこと、人間としての規範を、自分としてしっかり持って、それを依り所として生きてゆくことを意味しています。

●「自灯明、法灯明」は誤訳の産物
「自灯明、法灯明」とは、「自らを灯明とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法(真理)を灯明とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」という教えです。
本来は「自らを島とし・・・、法を島とし・・・」と訳されるべきところのものです。
しかし、サンスクリット語で島を意味する「dvipa」と、パーリ語などの俗語で灯明を意味する「dipa」が似ているため、漢訳者が誤訳したものと考えられています。

●誤訳でもイメージが合う「自灯明、法灯明」
灯明を「灯り、松明(たいまつ)」と解釈すれば、誤訳であっても、「自灯明、法灯明」は本来の意味にほぼ合致していると私は思います。
「灯り、松明」が暗い夜道を導いてくれるように、「自らを灯りとし、法を灯りとしてゆく」と受け取れます。
インド北部の大洪水の状態と、そこでの「島」の有難さが分かりづらい日本人には、「自灯明、法灯明」の方がかえって良いように思えます。

●付録の話:「人」と「法」との関係性
繰り返しになりますが、「自灯明、法灯明」とは、「他者に頼らず、普遍的に正しいこと、人間としての規範を自分がしっかり持って、それを依り所として生きてゆくこと」の大切さを教えたものです。
その点を押さえれば「自灯明、法灯明」の学びとしては良いと思いますが、付録としてもう一歩深掘りした考えを示しておきます。
「自灯明、法灯明」の教えを深掘りした考えとして言われる事は、「人(にん)」と「法」の一体化です。
つまり、他者に頼らず、自分が一人の人間として、法(普遍的に正しいこと、人間としての規範)を自覚し、実践することで、法は人によって体現化されます。
それが「人と法の一体化」です。
人が法を自覚し実践することで、人としてより良い存在、より高度な存在、より完成に近づいた存在になると考えられているようです。
そして法もまた、人の実践によって、生きた価値のあるものになるのでしょう。

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2025年10月24日 (金)

「仏教の一端を学び、考える」シリーズ 第6回:仏教の概略歴史

●仏教の概略歴史(成立期)の重要点
まず始めに、仏教の概略歴史(成立期)のポイント、重要な点を箇条書きにしてみます。
① 一般に仏様と呼ばれることが多い釈迦は、名前がゴータマ・シッダルタという歴史上実在した人物です。
② 仏教の経典、いわゆる「お経」は釈迦が自分で書いたものではなく、釈迦が亡くなった後で弟子たちが「私は釈迦がこう説いていたのを聞いた」ということを話し合って、文書にまとめたものです。
③ 成立期の仏教は、原始仏教⇒上座部仏教(小乗仏教)⇒大乗仏教と変遷してきました。
・原始仏教・・・・・釈迦が説いたのとほぼ同じ内容と言われる教え。
・上座部仏教・・・釈迦滅後、自己救済にのみ注力し大衆救済を後回しにした教え。
・大乗仏教・・・上座部仏教では釈迦の基本思想である大衆救済が出来ないと述べ、大衆救済を復活発展させた教え。
④ お経は、上記の原始仏教、上座部仏教、大乗仏教の各段階で作られたもの、その後に中国その他で作られたものなど、色々なものが有ります。

●仏教の概略歴史(成立期)を見てみる
・釈迦は紀元前463年に誕生し、紀元前383年に80歳で没しています。
・釈迦滅後すぐに第一回結集が行われます。
結集とは経典作成会議で、釈迦の弟子たちが集まって協議して経典を作っていきました。
・結集は釈迦が没してから約100年後に第二回が、約130年後に第三回が行われます。
死後100年以上も経ってから「釈迦の教えはこうだったと聞いた」、「釈迦の教えはこうだったに違いない」という話し合いが行われ経典が作られていったのです。
・そしてほぼ同時期に小乗仏教教団がいくつもの派に分かれていきます。
ある派は寺や塔を建てること、多くの寄進をすることを推奨するようになり、民衆救済から掛け離れていきます。
・そのような小乗仏教の状態を批判し、民衆救済に注力する大乗仏教運動が紀元前100年頃に興ります。
・約200年後の紀元100年頃に仏教は中国に伝わります。
中国には上座部仏教(小乗仏教)、大乗仏教の両方が伝わるのですが、民衆救済の考えから大乗仏教が受け入れられ、上座部仏教は広まりませんでした。
・そしてその400年後の紀元500年過ぎに、中国や半島三国(百済、新羅、高句麗)を経由して日本に仏教が伝来します。
中国で広まった大乗仏教のみが伝わってきました。

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●仏教の概略歴史(日本)の重要点
ここでも仏教の概略歴史(日本)のポイント、重要な点を箇条書きにしてみます。
① 仏教が日本へ伝わった飛鳥時代には、聖徳太子が仏教の思想を広めようとしましたが、それは定着せず、仏教は主に国家鎮護のために活用されました。
② 江戸時代にはキリスト教禁止の関係で寺が統治機構の末端を担うようになり、多くの寺は民衆に寄り添ったり、教えを広めたりすることをほとんどしなくなりました。
③ 昭和の太平洋戦争後は、無縁社会化で少なからずの寺の存続が危ぶまれる状態になってきました。
そのため今後の寺のあり方が模索され始めています。

●仏教の概略歴史(日本)を見てみる
・飛鳥時代に仏教が伝来します。
聖徳太子は維摩経・勝鬘経・法華経の3つの経典について講義を行なったり、解説書(義疏)を書いたりして、仏教の考えを広めようとしました。
・奈良・平安時代の仏教は、時の政府によって主に国家鎮護の為のものと位置づけられ活用されました。
・鎌倉時代には法然・親鸞・日蓮などによって仏教が民衆に広まっていきました。
しかし仏教の思想が深く広く伝わる迄には行きませんでした。
・江戸時代にはキリスト教禁止の関係で「寺請制度」が実施されます。
それぞれの家が檀家として寺に登録され、寺が統治機構の末端の役割を果たすようになります。
その結果、寺の経営基盤が強化され、多くの寺は布教活動に熱心に取り組まなくなりました。
・明治時代の初期には「神仏分離令」が引き金になって、それまでの寺に対しての民衆の憤懣が爆発し、廃仏毀釈が行われました。
・昭和時代の太平洋戦争後は家制度の崩壊・変化、人口の都市移動などの無縁社会化で寺と家の関係は弱まり、存続が危ぶまれる寺が増えてきました。
そのため、寺はどのようにして存続し発展して行けば良いのか模索が始まっています。

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●仏教の概略歴史から言えること
仏教の概略歴史(成立期および日本で歴史)から次のことが言えると私は思います。
① 仏教経典は時代や場所によって、新たに書かれたり、内容が変わって行ったり、尊重されるものが変化したり、してきています。
金科玉条のように墨守すべきものではないのです。
② 日本では仏教がどのようなことを説いているかを、人々に易しく伝え広めるということをほとんどしてきませんでした。
③ 寺のあり方が模索されている現在、現代の日本人が理解・納得できる仏教の解説や新たな解釈・発展、時代に合致した考えの提示が必要でしょう。

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2025年10月23日 (木)

「仏教の一端を学び、考える」シリーズ 第5回:七仏通解偈

●七仏通解偈(1)
日本で一般に釈迦と言われているゴータマ・シダッタは、歴史上に実在した人物です。
釈迦族の生まれであったために釈迦と言われるようになりました。
釈迦は「世の真実を覚った人」という意味で「覚者」、古代インドの言葉であるサンスクリット語でブッダと呼ばれました。
ブッダが音で漢訳されて「仏」となったのです。
釈迦が生きていた時代に、釈迦を含め「覚者」、すなわちブッダ(仏)が七人いました。
釈迦だけでなく、七人の覚者イコール仏の皆が、これが教えの真髄だと説いていたもの、それが「七仏通解偈」です。
なお、偈とは仏の教えや徳を称える韻文です。

●七仏通解偈(2)
七仏通解偈は仏教で「教えの真髄」と言われています。
法句経(ほっくぎょう)に書かれている漢文の七仏通解偈は「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教(しょあくまくさ、しゅぜんぶぎょう、じじょうきい、ぜしょぶっきょう)」です。
これを現代日本語に訳すると、「もろもろの悪いことをせず、多くの善い(よい)ことを行ない、自己の心を浄めること、これがもろもろの仏の教えである」、となります。

●仏教で善いとされること、慈悲
仏教で善いとされていることに慈悲があります。
そして魔訶般若波羅蜜経の注釈本『大智度論』には、慈悲について次のように書いてあります。
「大慈與一切衆生楽(だいじよいっさいしゅじょうらく)。
大悲抜一切衆生苦(だいひいっさいしゅじょうく)。」
これを現代日本語に訳すると、「<大いなる慈しみ>とは他人に楽しみを与(與)えることであり、<大いなる悲(あわ)れみ>とは他人の苦しみを抜く(除き去る)ことである」、となります。
楽しみを与え、苦しみを抜くことから、四字熟語で「抜苦与楽(ばっくよらく)」と表現されています。

●抜苦与楽とは
抜苦与楽とは先にも述べた通り、人に楽しみを与えること、人の苦しみを抜く(除き去る)ことです。
そこで次に問題になるのは、抜苦与楽を何に基づいて行うかということです。
判断基準と言っていいでしょう。
これに関して『法句経』には次のような一文が載っています。
「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」
ここで重要なのは「己が身にひきくらべて」という言葉です。
つまり、「自分がしてほしいこと」を人や万物にする、「自分がしてほしくないこと」は人や万物にしない、と捉えられます。
自分を基点にして考えると判断が適切になるのです。

●洋の東西で最高の教え、抜苦与楽
西洋には次のような言葉があります。
「So in everything, do to others what you would have them do to you.」
(何事でも、自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい)。
これは 『聖書』 の中にある言葉で、最も大切な教えという意味で黄金律と呼ばれています。
一方、東洋には次のような言葉があります。
「子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎、子曰、其恕乎、己所不欲、勿施於人也」
(子貢が質問しました。一言で終身行っていくべきものは、何ですか?
師は答えました。
それは恕(思いやり)だね。
自分がして欲しくないことは、人にしないことだ)。
『論語』の一節です。
洋の東西を問わず、抜苦与楽が最高の教えとされています。そして抜苦与楽の判断基準は「自分がどう思うか」です。

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●奈良の薬師寺の北門「與楽門」
奈良の西ノ京にある薬師寺の北門には「與楽門」という門札が掛かっています。
與楽門の「與楽」とは仏教用語の「抜苦與(与)楽」から来ています。
この門を通る時、思います。「私達は人や万物に対して、嫌なことをしないで、喜ぶことをしているだろうか?」と。

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2025年10月22日 (水)

「仏教の一端を学び、考える」シリーズ 第4回:涅槃寂静

●「涅槃寂静の意味と語源」の通説
通説をまず述べます。「涅槃(ねはん)」という言葉は、通常、次の2つの意味で使われています。
1つめは、釈迦の入滅。死亡のことです。
2つめは、燃え盛る煩悩の火を吹き消して、悟りの智慧を獲得した境地のことです。
この2つめが涅槃寂静の時の涅槃の意味です。
「寂静(じゃくじょう)」という言葉の意味は、
 1つめは、もの静かなさまのことです。
 2つめは、煩悩を離れ、苦しみを滅して、真理に達した涅槃の境地のことです。
この2つめが涅槃寂静の時の寂静の意味です。
つまり「涅槃」も「寂静」も意味は同じで、「煩悩を離れた悟りの境地」ということです。
涅槃寂静は同じ意味の言葉の涅槃と寂静を2つ一緒にして、意味を強調したものです。
通説では涅槃の語源を次のように捉えています。
涅槃のサンスクリット語(古代インドの言葉で、仏教経典が書かれた言葉)はニルヴァーナです。
ニルヴァーナの語源は一般にニル・ヴァー(吹いて、なくす)と言われています。
そして、そこから、涅槃は「燃え盛る煩悩の火を消して、悟りの智慧を獲得した境地」と解釈されています。

●「涅槃寂静の意味と語源」の異説
次に異説です。
異説では、涅槃の意味は「心を覆うものがない解放された状態」のことです。
寂静の意味には「もの静かなさま」というものがありますから、涅槃寂静は「わだかまりが無く、精神が解放されて静かに心落ち着いたさま」と理解できます。
異説では涅槃の語源を次のように捉えています。
ニルヴァーナ(涅槃)の語源は通説のニル・ヴァー(吹いて、なくす)ではなく、ニル・ヴリ(覆いが無い)です。
この解釈は空海、宗教学者の松本史郎氏、僧侶の宮坂宥洪師、外国のパーリ語(サンスクリット語の俗語)の研究者などが支持しています。

●施身聞偈(せしんもんげ)
涅槃寂静に関連して思い出す言葉が「施身聞偈」です。
施身聞偈とは、雪仙童子(せっせんどうじ)が鬼の唱えている偈(仏の教えや徳を称える韻文)を聞きつけ、続きの偈を聞くために、自らが鬼の餌食になることを約束して、それを実行するという話の中で書かれている韻文のことです。
その偈文は「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽(しょぎょうむじょう ぜしょうめつほう しょうめつめつい じゃくめついらく)」です。
施身聞偈の話の情景が、奈良県斑鳩の法隆寺の「玉虫厨子」の側面に絵として描かれています。
施身聞偈の私の解釈は次の通りです。
偈文と意味を対照して書きます。
諸行無常・・・全てのものは変化・生滅します。
是生滅法・・・変化・生滅が世の法則なのです。
生滅滅已 寂滅為楽・・・そのことを悟り、欲望や執着から解き放たれた時、心は安らかになるのです。
なお、悟りとは知り、納得し、受け入れることです。
また、生滅滅已と寂滅は共に欲望や執着から解き放たれたことです。

●涅槃寂静と施身聞偈
「涅槃寂静」は通説・異説のどちらの解釈でも、「施身聞偈」の後半部の「生滅滅已 寂滅為楽」と意味はほぼ同じです。
ちなみに、もう一度それぞれの意味を見てみましょう。
涅槃寂静の通説の意味は、煩悩を離れた悟りの境地です。
異説の意味は、わだかまりが無く、精神が解放されて静かに心落ち着いたさまです。
施身聞偈の後半部の意味は、(前半部分のことを悟り、)欲望や執着から解き放たれた時、心は安らかになるです。
このことからどんなことが言えるかと言いますと、涅槃寂静と施身聞偈の後半部分は意味がほぼ同じなのだから、施身聞偈の前半部分も涅槃寂静に当てはまることになる、ということです。
結果、涅槃寂静も次のように解釈できます。
諸行無常・・・全てのものは変化・生滅します。
是生滅法・・・変化・生滅が世の法則なのです。
涅槃寂静・・・そのことを知り、納得して受け入れると、欲望や執着から解き放たれ、心安らかになるのです。

●仏教が「涅槃寂静」で教えようとしていること
これまでの説明から、仏教が「涅槃寂静」で教えようとしていることは、次のことだと言えます。
全てのものは変化・生滅します。変化・生滅が世の法則であることを知り、納得して、受け入れると、精神が解放され心が落ち着くのです。
宇宙の理(ことわり)、自然の摂理というものを知り、受け入れることの大切さを教えています。
なお、宇宙の理を知り、それに身を委ねることは最も重要な認識ですが、これは運命論者になることとは異なります。
後日、少し詳しく述べる積もりですが、仏教は行動、実践を推奨しているからです。

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2025年10月21日 (火)

「仏教の一端を学び、考える」シリーズ 第3回:一切皆苦

●一切皆苦
「一切皆苦」とは、文字通り「一切(全て)が苦しみである」と理解できます。
つまり、「人生は苦しみで満ちている」と仏教では述べています。
「苦」のサンスクリット語の原語はduhkhaダッカであり、この語の本来の意味は「意の如くならないこと」です。
意の如くならないから苦しみになるのです。
そしてなぜ意の如くならないかというと、全てのものは絶えず変化していく(諸行無常、諸物変化)ためです。

●四苦八苦(1)
一切皆苦に関連して思い浮かぶ仏教の言葉は「四苦八苦」です。
日常で四苦八苦が使われている場合の意味は「大変苦労すること」ですが、仏教で四苦八苦と言う場合、四苦は生老病死(しょうろうびょうし)を示しています。
① 生(しょう。うまれること)、
② 老(ろう。おいること)、
③ 病(びょう。病むこと)、
④ 死(し。死ぬこと)の4つです。
仏教では、この4つを人間の避けられない苦しみと捉えています。

●四苦八苦(2)
ここで疑問が発生します。
なぜ生(生まれること)が苦しみなのか?
生まれる(出産)の時に赤子も苦しいからでしょうか。
生まれた世の中が苦しみの多い所だからでしょうか。
私が思うに、おそらく、生まれようとして生まれたのではなく(意の如くではなく)、生まれるからでしょう。
生老病死は、どれも意の如くではなく(人間の意志に無関係に発生する)、という意味でしょう。
なお、生老病死の「生苦」を「生まれる苦しみ」ではなく、「生きる苦しみ」と捉える説があるが、これは間違いです。
生苦のサンスクリット語の原語はjanma duhkhaジャンマ・ダッカ(誕生・苦)であり、「生まれる苦しみ」が正しい理解です。

●四苦八苦(3)
八苦とは生老病死の四苦に次の4つの苦しみを加えたもののことです。
⑤ 愛別離苦(あいべつりく。愛する人と分かれる苦)、
⑥ 怨憎会苦(おんぞうえく。憎い人と会う苦)、
⑦ 求不得苦(ぐふとくく。求めても得られない苦)、
⑧ 五陰盛苦(ごおんじょうく。人間は存在そのものが苦、世の中に存在するものへ執着する苦、の2つの解釈がある)。

●一切皆苦、四苦八苦で仏教が言おうとしていること(1)
一切皆苦、四苦八苦は「人生は苦しみで満ちている」と述べています。
そして仏教の教えは次のように展開していきます。
「人生は苦しみで満ちている」とは、「苦の世界からなかなか抜け出せない。苦の世界に何度でも生まれ変わる(輪廻)」からです。
そこで、苦の原因を追究し、原因が分かったら解決策を実行します。
それによって苦の世界から脱出できると、仏教では説いています。

●一切皆苦、四苦八苦で仏教が言おうとしていること(2)
一切皆苦、四苦八苦の仏教の考えで、私が抱いた疑問と問題意識があります。
今後、思考を深めていきたいと思いますが、それらは次の通りです。
① 人生や世の中が苦で満ちているという考えは、あまりに悲観的見方ではないでしょうか。
人生には楽しみも喜びもあるはずです。
楽しみや喜びは長続きせず、すぐに苦しいことや悲しいことが起こるから、やはり人生は苦に満ちているのだと言う人もいます。
しかし、これは「苦に満ちている」と言うための強引な論のように感じます。
また、釈迦の時代には苦が満ちていたとしても、現代にそのまま適用は出来ないと思います。
② 輪廻(りんね)の考えは、もともと古代インドにあった世界観が仏教に取り入れられたもので、現代人には受け入れがたいものだと私は思います。
なお、輪廻とは次のことを言います。
「人間は、天界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界の6つの世界に無限に生まれ変わる、というものです。

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