詩(作詩、訳詞、他)

2025年11月12日 (水)

唐招提寺にひっそりと建つ英文の詩碑

 十一月になり秋も深まってくると思い出す詩があります。それは奈良・西ノ京の唐招提寺に【ひっそりと建つ英文の詩碑】の詩です。二〇一四年刊の拙著『奈良のこころ 奈良・西ノ京から』に掲載したものですが、以下に再度掲載いたします。

●小さな英文の碑
 唐招提寺の無料休憩所を兼ねた売店の裏手、それほど大きくない池のほとりに、見落としてしまいそうな小さい石碑があります。地面からの高さが三十センチメートルあるかないかでしょう。石碑には銅板が埋め込まれていて、浅く文字が刻まれています。どこの誰が建てた碑なのか、何と刻まれているのか、簡単には分かりません。私がしゃがみこんで書き取った碑文は次の通りです。

Kif_0613
唐招提寺の売店の裏手にある英文の詩碑

●英文の原詩

 
 

AT TOSHODAIJI

 

Lo! In the cool air that reigns autumn now,

The colossal main hall doth arise to stand,

Of Buddhist Temple, neath the history, Thou,

Oh, Toshodaiji grand!

 

The colonnades of eight in frontage seen,

Remind us of the ancient edifice in Greece,

Imposingly face south thro the brighter sheen,
Embosomed in Lasting peace!

 

Around the hall prevails the majestic grove,

While thus among trunks so thick and rough,

There bloom some nameless florets in tiny love…

Ah, quiet‘tis enough!

 

This perfect main hall! Symbol great in age,

For more than centuries of one and ten,

Tho southern gate and fences lose their image

Of yore, that awed all then.

 

Now visitors stroll about by twos and threes,

With pious eyes from grounds so hallowed brought,

From History’s far recess doth blow the breeze,

When people go in thought.

 

               Hiroomi Fukuda

                            Chimaki Tsukumo

                            October 22, 1952

 

 

●石碑の日付は詩が詠まれた日?
 古語が使われた英語の詩です。韻もしっかり踏んでいます。作者の名前は漢字で福田博臣、津雲千巻とでも書くのでしょうか。また、一九五二(昭和二七)年十月二十二日という日は、唐招提寺を訪れた日なのか、石碑を建てた日なのかも不明です。通常石碑に彫る日付というものはその碑を建立する日のはずですから、後者ととるべきなのかなと思います。
 ただ、そう思いながらも多少気にかかるのは十月二十二日という日です。唐招提寺では十月の二十一日から二十三日まで釈迦念仏会という大きな法要が行われます。特別な法要の日に、その法要とは直接関係しない石碑の建立はしないのではないでしょうか。私には詩の作者たちが釈迦念仏会のときに唐招提寺を訪ねたように思われてなりません。
 なお、十月に詠まれたと思われるこの詩の唐招提寺の雰囲気は、昨今の温暖化の影響で、十一月に多く感じられるように思います。

●詩の日本語訳
 詩を日本語に訳してみます。古語の英語に合わせて、少しばかり古い表現を心がけてみることにします。

「唐招提寺にて

時は秋、清涼の気が漂う中に、
素晴らしい金堂が建っている。
長い歴史を経て、
屹立する御仏の寺。
ああ、壮麗なる唐招提寺。

正面にある八本の列柱は、
ギリシャの古代建造物を想起させ、
悠然と南面したその姿は、
明るく輝きながら、
永遠の安寧を謳っている。

金堂の周りには厳かに樹々が生えている。
それらの樹の間にはこんもり茂った藪があり、
名もなき小さな花々が愛らしく咲いている。
ああ、なんという静けさ。

南門や壁は昔日の面影を失っているが、
非の打ち所のない金堂は
千歳余りの風雪に超然として、
畏敬の念を抱かせる。

清浄な境内を三々五々、
参拝者が散策している。
篤い心で思いをはせると、
遠い歴史のかなたから、
古人(いにしえびと)の息吹が伝わってくる。」

 意訳し過ぎかもしれませんが、この詩は唐招提寺の情景と雰囲気を的確に捉えているように思います。古語の英語でしっかりと韻を踏み、素晴らしい詩が詠まれたものだと感心しています。

●後日談
 上記の「英文の碑」について私のホームページで紹介しましたら、あるとき人を介して女性の福田氏から電子メールをいただきました。福田氏は詩を書いた福田博臣氏のお孫さんでした。小さかったので、お祖父さんのことはうっすらとしか覚えていないとのことですが、福田博臣氏は銀行で働き、独学で英語を勉強したそうです。そして奈良県で最初に通訳資格を取り、何かあればボランティアで通訳をかってでていたとのことでした。

 

 

 

|

2021年8月22日 (日)

パラリンピックで思い出す詩

 2021年8月24日から東京パラリンピックが開催されます。コロナ感染の緊急事態宣言が発出されている中での開催であり、出場選手や大会関係者が感染しないか心配です。しかし、開催される限りは無事に大会が運営されることを願っています。
 東京パラリンピック開催にあたっては、障害のある選手の皆さんの頑張りを称え、障害者スポーツに理解を深め、全ての人が生活しやすい社会を築けていけたら良いなと思います。
 パラリンピック、障害者スポーツと言いますと、私には直ぐに思い出す詩があります。以前に拙著『企業と人権 人権学習ことはじめ』に掲載し、ホームページ『鏡清澄の部屋』でも紹介したものですが、東京パラリンピックに合わせて、このブログでも紹介させていただきます。大分国際車いすマラソンについて書いた詩です。
*****************************

    君は鳥になった
                   鏡 清澄

(一)                             

バーン!
一斉に走り出す レース用車いす 百台余 

続けてもう一発
後を追って 発車する 百数十台 

車いすマラソンが 始まった
身をかがめ 車を回し 疾走する 

沿道の 熱い声援を 両腕に受け
君は今 風になる
 

(二) 

弁天大橋へ
車いすが 差し掛かる 

長く急な 上り坂
車が 押し戻される 

君の 日にやけた
両腕の 筋肉が盛り上がる 

蒸気機関車の 動力伝達棒のように
君の腕が 少しずつ
たくましく 動く
 

(三) 

車いすは 群れをなして
競技場に 入ってきた 

疾風怒濤のごとく
コーナーを 駆け抜けていく 

ゴールに向かって 加速する
君の 二つの肩と腕が
大きく 上下する 

君は鳥になった
大鷲の 翼のごとく 力強く
丹頂鶴の 羽ばたきのように 美しく
両の腕が動く
 

(四) 

戦いは 終わった 

優勝 自己記録更新 完走
参加した 誰もが
それぞれの 目標を抱いて
レースに チャレンジした 

目標を達成した人
達成できなかった人
それぞれ いるだろう 

しかし 僕は確信する 

この過酷な マラソンの経験が
君の
明日からの 仕事と生活に
自信と勇気を 与えるだろう 

そして また
君の 力の限りの 戦いが
大会を支えた ボランティアや
多くの 応援者に
熱い感動を くれたのだ 

有難う
また会おう 来年

一斉にスタート
【一斉にスタート】

疾風怒濤、コーナーを駆け抜ける
【疾風怒濤、コーナーを駆け抜ける】

*大分国際車いすマラソンは、国際障害者年の1981(昭和56)年より毎年10月下旬頃に大分県大分市で開催されている車いすだけのマラソン大会です。毎年、世界および日本全国から約300人の選手が参加し、延べ2000人を超えるボランティアが大会運営をサポートしています。

|

2021年3月29日 (月)

『あなたの傍(そば)に』 翻訳に際し、心に残ったこと

『あなたの傍に』翻訳に際し、心に残ったことが3つあります。それらについて以下に書きます。

1.原詩作者のマリーさんのメッセージに感動
『あなたの傍に』の英文原詩の作者であるマリー・E・フライさんは、晩年に次のようなメッセージを残しています。
「(私の書いた詩の言葉が、伝言のように友から友へ伝わりました。それらの言葉が、遠く、広く、旅し、多くの人に伝わった)ことから私は学びました。ほかの方を悲嘆から救おうとするとき、それは、おのれの悲しみのすべてを軽くして、永久(とわ)なる平安をもたらしてくれることを……。」(井上文勝さん著『「千の風になって」 紙袋に書かれた詩』からの引用。なお括弧内は鏡が一部省略して記述)
 私は、マリーさんが「ほかの方を悲嘆から救おうとして、それが、おのれの悲しみのすべてを軽くしてくれることを学んだ」、というところに感動しました。悲惨な幼年時代や少女時代を過ごしたマリーさんだけに、悲嘆に暮れている人に手を差し伸べずには、いられなかったのでしょう。そしてほかの人を悲しみから救おうとすることは、自分の悲惨な経験が役立ち、自分の人生が有意義であったという思いにマリーさんはなったのだ、と私は感じました。人間の魂が救われ、人生を肯定できたところに私は感動したのです。

2.『千の風になって』を使って国語教育をした取り組みに脱帽
 私は『あなたの傍に』を翻訳しようと思い、情報収集のために「千の風」をキーワードにしてネットサーフィンをしました。そうしましたら、京都府立洛西高校の金澤ひろあきさんが、ヒット曲『千の風になって』を教材にして国語教育をしていることが分かりました。以下はネットで見たPDF資料からの要約抜粋です。なお、ここでの原詩は英文の流布版です。

 授業では、原詩を生徒に紹介した後、「自分なりにこの詩を翻訳」させます。その時の条件は2つです。
   ①『千の風になって』以外の題をつける。
   ②自分が中心テーマと思うものにしぼって、原詩を大きく改変してもよい。
 全く勝手な改変は困るので、あくまで原詩を踏まえさせます。そのためにまず「直訳」をしてもらい、次に「原詩」の中心テーマを考えさ   せ、そして「作詞」をさせます。
 さらに各自が作詩した『自分版 千の風になって』をもとに、その詩が書かれた状況を物語にさせます。

 この授業は国語の表現学習として行われたものですが、私はとても素晴らしい授業だと思いました。詩との出会いを単に受け売りで終わらせるのではなく、自分の感性で感じ取り、自分の頭で考えさせようとしているからです。そして形あるものにして表現させているからです。
 上記の授業ステップで生徒が作った詩や物語の優秀作品もPDF資料には載っていて、それぞれの出来栄えに感心しました。

3.秋川雅史さんのインタビュー回答に納得
 秋川雅史さんが歌ってヒットした『千の風になって』について、これまで私は若干違和感を抱いていました。「千の風」「吹きわたっています」という言葉、および秋川さんの朗々たる歌い方が、曲の内容にちょっと合っていないのではないか、と感じていたのです。一方で、あれだけ大ヒットとなったのだから、多くの人の心に響いたのだ、これまでにない斬新な曲なのだとも思っていました。
 そんなことを感じたり思ったりしていた時、『終活読本 ソナエ』(vol.2)という本に出会いました。この本のキャッチフレーズは「いつか迎える『その時』。人生を美しく仕上げるための季刊誌」で、言うならば死ぬことによる葬儀や相続、その他の諸問題にしっかり準備をしていきましょうというものです。巻頭インタビューのページに秋川さんが出ていました。その記事を読んで、私は話の内容に驚きました。秋川さんはプロの歌手として詩の心を捉え、コンサートでの聴衆の反応を見て、歌っているのです。秋川さんは秋川さんの歌い方、表現で、歌の心を皆に伝えているのだと納得しました。
 秋川さんは次のようなことを述べていました。
「歌詞については冒頭に出てくる“お墓”という言葉がすごく気になりました。“お墓”という言葉が音楽にふさわしいのかどうなのか…。」
「コンサート会場で最近みる光景は、悲しみを受け入れ、立ち直れた人たちの光景ではないかと。この曲が、人々の悲しみに寄り添い、その後の人生を歩む助けになっているって、すごいことですよね」
「『千の風になって』の歌詞には“お墓にいません”とあります。でも、自分の解釈として、“お墓にいません”という言葉は“いつもあなたの側にいるんですよ”というのを言うために、比喩的に表現していると理解しています。」

                                                           以上

 

| | コメント (0)

2021年3月11日 (木)

『あなたの傍に』・・・(『千の風になって』の別の翻訳詩)<その2>

 <その2>では、【『あなたの傍に』は、どういう理由で、このように翻訳されたのか】について述べます。

『あなたの傍に』の翻訳の要点
1. 原詩・オリジナル版(以下、詩と記載)の第1節について
 ・英文を素直に訳せば、流布版で広く訳されているのと同じく、「私の墓の所に立って泣かないで・・・」となります。
 ・欧米人はその流浪の歴史から墓に対する愛着、思い入れが強いと聞きますが、私は前述のユダヤ人マーガレットさんの置かれている状況を踏まえて、「別れを言いになんて 来なくていいのよ」と訳しました。
 ・この訳は、この後に述べる詩の全体の趣旨とも合致すると思ったからです。
  ●ここでのポイント
  詩の第1節は「別れを言いになんて 来なくていいのよ」と訳す方が良さそう、です。

2.詩の第2節について・・・英語の解釈から
 1)英文:a thousand winds
   ・一般に「千の風」と訳されているが、「千の風」とはどういうものでしょうか。通常の日本語にはない表現です。あえて推測すれば「千種類の風」「多くの風」でしょうか。
   ・ thousandの意味は①千、千の、②多数の、多くの、です。
   ・「I am in a thousand winds that blow,」の文は、「多くの風になって 吹いている」よりも、「風になって 空を自由に飛んでいる」の方が、第1節の「私はそこに眠っていない」という文と合っていると思いました。
   ・私の推測ですが、原作者のマリーさんは、 thousandに、「多く」=「どこにでも(吹く、いる)」の意味を持たせたのではないでしょうか。

 2)英単語:blow
   ・blowには①(風が)吹く、の他に、②強打、そして③(古語で)花を咲かす、という意味があります。
   ・I am in a thousand winds that blow,blowは、前にwinds があるので、①の「(風が)吹く」の意味に取るのが妥当でしょう。
   ・しかし、③の「花を咲かす」の意味も含まれていると理解するのが良いと思います。
   ・理由は、この詩の第2節は、四季と豊かさを歌っているからです。第1句は含意の「花を咲かす風」で春を表していると感じました。

 3)英単語:snow
     ・冬の雪は肥沃な大地を育みます。
   ・春の次に冬が書かれているのはblowsnowの韻の関係でしょう。

 4)英文:the gentle showerof rain
   ・ここのshower の意味は「にわか雨、短時間の雨、にわか雪」のことで、にわか雨は豊穣の象徴と言われています。それで、私は「恵みの雨」と訳しましたた。にわか雨ですから夏です。

 5)英文:the fields of ripening grain
   ・これは穀物が豊かに実る大地で秋です。
   ・grainは穀物であり、北米では小麦がイメージされます。日本の小麦は秋まきが主ですが、北米ではパンを作るのに適したタンパク質含有量の多い春まき小麦が植えられ、秋に収穫されます。
  ●ここでのポイント
   詩の第2節は、四季を詠みこみ、豊かさ=幸福を願う意味を含んでいるのだと思います。

3.詩の第3節について・・・3つの文から
   ・第3節は、朝の静けさ、昼の空に舞って高く昇っていく鳥たち、夜の天に輝く星を詠んでいるので、一日の時間の変化を捉えたものと感じました。
   ・また、朝の静けさは人々が眠りから覚める前後の情景と考えれば、それは地上のイメージに近いです。
     ・3つの文は、地上、空高く昇っていく、天に輝く星と、空間も捉えているように思われます。
      ●ここでのポイント
      第3節は、朝・昼・夜の時間の変化と、地上・中空・天の空間の変化を詠っていて、これは「いつでも、どこにでも」という考えに結びついていると、理解できます。    

1)英単語:rush
 ・rushには①急いで行く、あわただしさ、②イグサ、灯心草、の意味があります。
 ・そのため、あわただしさから「朝の鳥たちの囀り」や、イグサから「鳥たちの住処」をイメージすることも可能ですが、私は渡り鳥たちが昼に発生する上昇気流に乘って旋回飛行し、次の上昇気流を見付けて、そこへ素早く飛んで行く姿を詠んでいると捉えました。
 ・渡り鳥は遠くの地へ飛んでいくために、上昇気流に乗って空高く昇り、羽ばたくエネルギーを極力使わず滑空していく、と言われています。
 ・マリーさんの住むメリーランド州は州鳥の渡り鳥「ボルチモア・オリオール」の飛来地ですから、その情景をよく知っていたはずです。

4.詩の第4節について・・・前述の文との関係から
 ・第4節は、第2節と第3節の文言を受けて詩句が詠まれていることに気付きました。
 ・第4節のthe flowers that bloom(咲き誇る花)は、第2節のa thousand winds that blow(花を咲かす風の含意)を受けているのだと思います。Bloomの原義は「花、盛り」ですから、blowの③の意味の「花」と通じています。
 ・第4節のa quiet room(静かな部屋)は、第3節のthe morning hush(朝の静けさ)を受けているのだと思います。 quiet hushの意味は共に「静か」です。
   ・そして第4節の前半2行は、(戸外で)咲き誇る花にも静かな室内にも自分がいると述べています。後半2行は前半の花を受けて囀る鳥、室内を受けて部屋の素敵な小物たちを登場させ、それらに自分がなっていると述べています。
 ・おそらく、囀る鳥は幸せをもたらす青い鳥のイメージでしょう。室内の素敵な小物たちになっているというのは、あなたの傍であなたを見守っているというメッセージなのだろうと私は感じました。
  ●ここでのポイント
 ・いつでも、どこでも、あなたの傍にいて、あなたが幸せになるよう見守っているよ、と伝えているのです。

5.詩の第5節について・・・全体のまとめ
 ・第5節は、第1節から第4節までを受けて、全体のまとめを述べています。
 ・「別れを言いになんて 来なくていいのよ
  私は いつも あなたの傍に いるのだから」と。
 ●詩全体でのポイント
 ・別れを言いになんて 来なくていいのよ
  私は いつも あなたの傍に いるのだから
 ・私は あなたが幸せになるよう 
  いつもあなたを見守っている
 ということではないでしょうか。

詩の創作と作者について
 ●詩は、マーガレットさんが泣きじゃくっている間にマリーさんによって書かれました。
 ●そのような短時間に、これだけ韻を踏んだ、含意のある詩が書けるのだろうか、と私は一瞬疑問を抱きました。
  ●しかし直ぐに、この人なら出来ると思ったのです。
  ●マリーさんは市立図書館の本を全て読む(!)ような勉強家です。
  ●そして悲惨な幼年・少女時代を過ごしたために、心からの叫びのように優しさや親切を求めたはずです。自分がほしかっただけに、その優しさや親切を自分の人柄として身に着け、周りの人々に与え続ける人になったと思われるからです。

再掲:翻訳詩『あなたの傍に』

     あなたの傍(そば)
               作   詞:マリー・E・フライ
               日本語訳:鏡 清澄

   別れを言いになんて 来なくていいのよ
   私はそこに 眠っていないから

   私は 風になって 空を自由に飛んでいるの
   静かに降り積もる雪や
   優しい恵みの雨が 私なの
   豊かに穀物が実る大地 それが私よ

   私は 朝の静けさの中に いるの
   昼は 空に弧を描いて舞い
   素早く高みへ昇っていく 美しい鳥が 私なの
   夜は天に輝く星 それが私よ

   私は 外で咲き誇る 花にも
   静かな 部屋の中にも いるの
   私は 幸せを運ぶ小鳥
   いつもあなたを見守っている

     別れを言いになんて 来なくていいのよ
    私はいつも あなたの傍に いるのだから

参考書籍等
 この記事は多くの方々の著書、CD、ウェブサイト、助言を基にして書かれました。
 それらの一覧は以下の通りです。お世話になりました皆様に厚く御礼申し上げます。

 井上文勝著『「千の風になって」 紙袋に書かれた詩』 2010年 ポプラ社刊
 南風 椎訳『あとに残された人へ 1000の風』 1995年 三五館刊
 新井 満著『千の風になって CDブック』 2005年 講談社刊
 観瀾斎/他著『観瀾斎の千の風に』 2007年 オークラ出版刊
 産経新聞社編『終活読本 ソナエ vol.2』 2013年 産経新聞出版刊
 塩谷靖子CD『千の風』 2007年 アットマーク制作
 WEBサイト『mahoroba』のオーママミアQuinn著「『千の風になって』の作者」
 WEBサイト『ritsumei(PDF資料)金澤ひろあき著「 『千の風になって』の国語学習」
 WEBサイト『木走日記』
 WEBサイト『看板娘イッシーの石屋日記』
 WEBサイト『ある英会話教師のつぶやき』
 WEBサイト『一日一夜』
 WEBサイト『HARMONIRReview Lunatique/寮美千子の意見』
 WEBサイト『tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」』
 WEBサイト『二木紘三のうた物語』
 WEBサイト『うむむ。』
 スウェーデン在住のT.H氏の助言
 奈良県在住のY.M氏およびY.M氏の知人(イギリス在住)の助言
 奈良県在住のR.A氏の助言

| | コメント (0)

『あなたの傍に』・・・(『千の風になって』の別の翻訳詩)<その1>

これまで少なからず気になっていた詩千の風になって。今回、その原詩(英文・オリジナル版)を読むことが出来ましたので、それの日本語訳を私なりにしてみました。

翻訳詩『あなたの傍に』について
     ● 秋川雅史さんが歌ってヒットした歌『千の風になって』の歌詞は、作家の新井 満さんが当時は作詞者不詳だった「Do not stand at my   grave and weep,」で始まる英文の詩を日本語訳したものです。
   ●その後、パレスチナ在住の井上文勝さんの粘り強い調査により、英文の詩の作者はアメリカ人のマリー・E・フライさんということが明らかになりました。
   ●また井上さんは、一般に広まっている上記の詩<便宜上、原詩・流布版(英詩)と記載>とは別に、マリーさん作成の詩<同、原詩・オリジナル版(英詩)>があることを突き止め、それをご自身の著書『「千の風になって」 紙袋に書かれた詩』に掲載しました。
   ●原詩・オリジナル版(英詩)を読んで、私はとても奥深い詩だと思い、これを自分の感性と解釈で日本語訳してみました。
   ●直訳とは大分違いますが、なぜそう訳したのか。原詩が作成された事情および英語の解釈の面からの、私の考えを後ほど述べるようにします。
   ●なお、当文書は<その2>の末尾に記載しているように多くの方々の書籍、WEBサイト、助言を参考にしてまとめたものです。また、詩の原作者のマリー・E・フライさんについての情報は、井上さんの著書『「千の風になって」 紙袋に書かれた詩』に基づいています。上記の方々に心からお礼申し上げます。

原詩・オリジナル版(英詩)

  Do not stand at my grave and weep,
  I am not there, I do not sleep.          

    I am in a thousand winds that blow,
    I am the softly falling snow.
  I am the gentle showers of rain, 
  I am the fields of ripening grain.          

  I am in the morning hush,
  I am in the graceful rush 
  Of beautiful birds in circling flight, 
    I am the starshine of the night.           

    I am in the flowers that bloom, 
    I am in a quiet room, 
    I am the birds that sing,
  I am in each lovely thing.                 

    Do not stand at my grave and cry, 
  I am not there. I do not die.                

  • 詩の題名は書かれていません。
  • この詩の出所は井上文勝さん著『「千の風になって」 紙袋に書かれた詩』です。

 原詩・オリジナル版からの日本語翻訳詩

      あなたの傍(そば)

                作   詞:マリー・E・フライ
                日本語訳:鏡 清澄

   別れを言いになんて 来なくていいのよ
   私はそこに 眠っていないから

     私は 風になって 空を自由に飛んでいるの
    静かに降り積もる雪や
    優しい恵みの雨が 私なの
    豊かに穀物が実る大地 それが私よ

     私は 朝の静けさの中に いるの
    昼は 空に弧を描いて舞い
    素早く高みへ昇っていく 美しい鳥が 私なの
    夜は天に輝く星 それが私よ

     私は 外で咲き誇る 花にも
    静かな 部屋の中にも いるの
    私は 幸せを運ぶ小鳥
    いつもあなたを見守っている

     別れを言いになんて 来なくていいのよ
    私はいつも あなたの傍に いるのだから

 原詩・流布版(英詩)

   Do not stand at my grave and weep.
   I am not there, I do not sleep.

   I am a thousand winds that blow.
   I am the diamond glints on snow.
   I am the sunlight on ripened grain.
   I am the gentle autumn rain.           

     When you awaken in the mornings hush,
   I am the swift uplifting rush
   of quiet birds in circled flight. 
   I am the soft stars that shine at night.

   Do not stand at my grave and cry.
   I am not there; I did not die.

    ●詩の題名は書かれていません。
     ●詩の出所は井上文勝さん著『「千の風になって」 紙袋に書かれた詩』です。
     ●新井 満さんが訳し、秋川雅史さんが歌っている『千の風になって』も、ほぼこの流布版と同じ英詩を基にしています。

 原詩・流布版(英詩)からの日本語翻訳詩
     ● 日本で一番広まったと思われる新井 満さんの訳詩『千の風になって』は、JASRAC(日本音楽著作権協会)の絡みがあるので、新井さんの著作やCD、および秋川雅史さんのCD、WEBサイト『うたまっぷ』などを参照ください。
   ●原詩・オリジナル版(英詩)および原詩・流布版(英詩)は、作者のマリー・E・フライさんが著作権の主張を辞退しているので、上述の通り当ブログに掲載しました。
   ●原詩・流布版(英詩)は、原詩・オリジナル版(英詩)が転記や印刷されて世間に広まる際に、原作者以外の人によって意識的または無意識的に改変され生まれてきました。そして、多くの人に配布されたものが主たる流布版になったのだと思われます。

 原詩・オリジナル版が作成された経緯
   ●詩の作者のマリー・E・フライさんは1905年にアメリカのオハイオ州で生まれ、3歳の時に親戚の家に預けられます。親戚のおじさんの事故死後、手伝い女として盥(たら い)回しされ、悲惨な少女時代を過ごしました。
   ●12歳半になった時、自由になるために出奔して、北米東部のメリーランド州ボルチモアへ移住します。
   ●デパートのレジ係、映画館の切符売り係として働きつつ、市立図書館にある本をほとんど全て読みます。
   ●苦しい生活の中でも、学ぶことへの熱意を失わず、悲惨な状態であったからこそ、人・動物・花などへの優しさを身に着けました。
   ●マリーさんは心優しい男性と出会い、結婚します。
   ●そして、ヒットラーが台頭するドイツからアメリカへやって来たユダヤ人の娘のマーガレットさんと知り合います。
   ●マーガレットさんはドイツに残してきた母が亡くなったことを知り、母のお墓にお参りすることができないと、悲しみに打ちひしがれます。
   ●マリーさんは買い物の紙袋を破り取り、マーガレットさんを慰める詩を書いて、彼女に渡しました。それが英詩の原詩・オリジナル版です。
   ●ここでのポイント
     ①マリーさんは市立図書館の本を全部読むほどの勉強家であり、心根が非常に優しい人でした。
     ②マーガレットさんはドイツに自由に戻れない状態でした。

<その2>に続く
     ●『あなたの傍に』<その2>では、主に【『あなたの傍に』は、どういう理由で、このように翻訳されたのか】を述べます。

| | コメント (0)