般若心経の意味を知る

2025年10月 1日 (水)

般若心経の意味を知る(第7回)

§7.私たちにとっての般若心経の価値

第1節 はじめに

ある寺でセミナーがあった時、セミナーの冒頭の司会者が「ここは寺なので、セミナーの前にお勤めをしましょう」と呼びかけました。
若いお坊さんが般若心経を唱え始めたら、セミナーのほとんどの受講生が経本もプリントも見ずに大きな声で それに和していきました。
私は、これほどまでに般若心経が身近なものになっているのだと、改めて認識しました。
そこで、般若心経が多くの人に親しまれ、大切にされている理由は何なのかを考えて見ました。
思い当たったのは次の三つです。
一つ目は「読経や写経の効用」です。
二つ目は「努力の大切さを教えていること」です。
三つ目は「祈りの強い力を説き、伝授していること」です。
私は「祈りには力がある」と思っています。望みを叶えたい時、物事を成し遂げようとする時、よほどの幸運でもない限り努力が絶対に必要です。
しかし、努力しても、努力しても、それでも物事が達成しない時、人は達成できますようにと神様や仏様に祈ります。
祈ることによって、再び努力する気持ちになります。
絶対的なものの前で謙虚になり、励まされて努力を継続して行くのです。
そのことが、物事の達成を引き寄せるように思います。

第2節 私たちにとっての般若心経の価値

さて、今回のシリーズで般若心経の意味を説明してきました。
その要旨は、般若心経は末尾の「祈りの言葉」(呪文)を教えようとしたものであること。
そして祈りの言葉(羯諦羯諦波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶)は
「なろう、なろう、皆でなろう。皆が善い生き方をして、幸せになろう。思いは叶うぞ。うれしいなぁ!」
ということでした。
この般若心経の意味および、般若心経の呪文は「祈りの力」が最も凝縮されたものであることを考慮すると、
般若心経の要点は
私たちに前向きに生きる勇気を与えてくれること、
私たち皆が幸せになるのだと訴えていること、
であり、このことが私たちにとっての般若心経の価値と言えます。
以上で、「般若心経の意味を知る」シリーズを終了します。

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付録

「般若心経の意味を知る」シリーズのポイント

全7回にわたる「般若心経の意味を知る」のシリーズの要点を述べると以下の通りです。
①般若心経は、釈迦の直接の教えではなく、釈迦の人間救済の思想に立ち返って作られた大乗仏教の経典です。
②般若心経の意味が分からないのは、サンスクリット語から音での漢訳(音写)、内容の省略、サンスクリット語文法の理解不足などのためです。
③般若心経には「般若経のエッセンス」と「呪文の提示」という2通りの解釈があります。
④私の理解ですが、般若心経とは、「思いが叶う祈りの言葉」を伝えようとしたものです。
祈りの言葉の意味(私訳)は、「なろう、なろう、皆でなろう。皆が善い生き方をして、幸せになろう。思いは叶うぞ。うれしいなぁ!」です。
⑤般若心経は「思いを叶えるために、努力して、祈って、(努力して)、生きて行く」ことの大切さ教えています。
⑥般若心経は、皆で幸せになるのだと真理を訴えています。

より詳しくは

・より詳しくお知りになりたい方は鏡清澄著『般若心経 私のお経の学び(1)』をご覧ください。
・オンラインショップのAMAZON、および一般書店(取り寄せ)で販売しています。
・発行所はデザインエッグ株式会社で、価格は2,222円(税込)です。

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般若心経の意味を知る(第6回)

§6.「空」と「般若波羅蜜多」と「呪文」の再考

第1節 はじめに・・・般若心経の2つの解釈

●般若心経の意味を理解しようとして幾つかの解説書を手に取ってみると、その説明内容・解釈に大きな違いがあることに気づきます。
この違いが般若心経を理解する際に混乱をもたらすことにもなっています。そのため、まず解釈の違いを把握しましょう。
●般若心経の解釈は大きく分けると、2種類あります。
1つめは、「般若心経は般若経のエッセンスである」という解釈で、これが言わば通説です。法相宗や禅宗などで述べられています。
2つめは、「般若心経は呪文の提示をしている」という解釈で、真言宗などで述べられています。近年、こちらの解釈を支持する人が増えてきているように私には感じられます。
●解釈1.般若経のエッセンス
 ・般若心経は「般若経の重要な教えを説いた経典」という捉え方です。
 ・心経の「心」は心臓、真髄、核心、重要の意味との理解です。
 ・般若波羅蜜多は「仏様が覚った真実(智慧)」。
 ・仏様が覚った「空と縁起」の思想、つまり“万物は変化するので、それ自身の性質(固定的な本質)は無い。因縁果で変化する”という思想を身に付けて、自分に拘(こだわ)ることを止め、苦しみから脱しようとの教えです。
 ・六波羅蜜多(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)の取り組みの必要性も訴えています。
●解釈2.呪文の提示
 ・般若心経は「思いが叶う(苦しみから救われる)祈りの言葉を伝えようとしたもの」との捉え方です。
 ・心経の「心」は心呪のことで、呪文の意味との理解です。
 ・般若波羅蜜多は「呪文、祈りの言葉」のことです。
 ・般若心経は、大乗仏教の智慧が完成・凝縮された「般若経、特にその祈りの言葉」を教えているという考えです。
 ・自己努力では叶わない救済を、神秘なもの、絶対的なものに願うという考えです。
 ・祈りの言葉は、「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶(ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼうじそわか)」です。
●私が良いと思う解釈
・私が良いと思う解釈は、解釈2の「呪文の提示」を主としながら、そこに解釈1の一部分である「六波羅蜜多の修行」を付け加える、というものです。
・その理由として、次の①から③をあげることができます。
①般若心経の中で詳しく述べられていない「空」の思想を、般若心経の中心的教えであると説くことが、般若心経を難しく感じさせているように私は思います。
②般若波羅蜜多には「六波羅蜜多の修行」の意味もあるので、般若心経は「呪文の提示」を主にしながらも、それに加えて、修行していく、努力していく、という意味合いがあると解釈するのが良いと思われます。
③前々回、本シリーズの第4回で説明した通り、般若心経を段落で区切って現代日本語訳し、各段落の内容を順に追ってみると、般若心経は般若波羅蜜多という「呪文の提示」をしている、と考えるのが妥当だと分かります。

第2節 「空」と「般若波羅蜜多」と「呪文」の再考

・第1節の般若心経の2つの解釈および私が良いと思う解釈に深く関係する3つのキーワード、「空」と「般若波羅蜜多」と「呪文」について再度考察し、理解を深めるようにします。

第1項 「空」とは
●「空」とは
   ・まず初めに「からっぽ、無」といういみがあります。これは一般的な理解と言えます。
   ・次に空とは「因縁果によって変化し、それ自身の性質(固定的な本質)がないこと」という理解があります。これは釈迦の理論、解釈です。
   ・3番目に空とは「人間を苦しみから救う絶対的なもの、神秘的なもの」という解釈があります。これは大乗仏教の考えです。
●釈迦の「空」と大乗仏教の「空」は違うわけですが、違う意味のことを、なぜ同じ「空」という文字で表現したのでしょうか?それは、「空」の文字に2つの意味があるからです。
●「空」の2つの意味:「から」と「そら」
   ・釈迦の「空」は、形あるものの「それ自身の性質(固定的な本質)は無く」、他のものとの因縁果で変わってくるものだから「空っぽ」の「空(から)」です。
   ・大乗仏教の「空」は、膨らんで、膨らんで、出来た大きな空間(=大空)という考えから「空(そら)」 と言えます。
     *ちなみに、「空」のサンスクリット語(古代インド語)の語源「シューニャ」は「膨らむ」という意味の動詞です。
     *空間の果てしない広がりは宇宙と同じと考えられ、知恵の及ばない神秘なものと認識されました。
   ・インド哲学大家の中村元(はじめ)氏は次のように述べています。
     「『そら』は『大空』や『天、天空』のことで、古代人にとって天空は神々の住む偉大な領域であった。」

第2項 「般若波羅蜜多」とは
*般若のサンスクリット語は「プラジュニャー」です。サンスクリット語の俗語のパーリ語では「パンニャ」です。
この「パンニャ」を音写、音で漢字に置き換えたのが般若です。
般若は「智慧」という意味です。
*波羅蜜多のサンスクリット語は「パーラミター」で、これを音写したのです。波羅蜜多は「完成した」という意味です。

●般若は「智慧」、波羅蜜多は「完成した」という意味ですから、般若波羅蜜多は「智慧の完成」という意味になりますが、「智慧の完成」には2通りの解釈があります。
   ・1つは「智慧を完成させること」という解釈で、六波羅蜜多の修行をしていくことの 必要性を説いています。奈良の薬師寺や興福寺その他の多くの寺がこの解釈をしています。なお、六波羅蜜多とは、仏になる前の修行者が取り組むべき6つの修行項目のことで、次回の第7回に少し詳しく説明をします。
   ・「智慧の完成」のもう1つの解釈は「完成された結果としての智慧」というものです。
     これは呪文、祈りの言葉ということになります。密教と呼ばれる真言宗や天台宗などでこの解釈がされています。
●なお、般若心経の「完成された仏の智慧」とは、釈迦が直接言った言葉や智慧のことではなく、釈迦の慈悲の心を踏まえて発展させた「大乗仏教の智慧」のこと、という点に注意すべきです。

第3項 般若心経の呪文の意味
「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶(ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼうじそわか)」の意味について考えてみましょう。
●これについては、「呪文なのだから翻訳せず、そのままの音で唱えるのが良い」との考えが根強いです。
●しかし私は「意味を分かって唱えるべき」と思っています。
なぜなら、意味が分かってこそ祈りに思いが込められると思うからです。
●玄奘三蔵法師が、呪文なので呪力が弱まらないよう、翻訳せずにそのまま唱えるように言ったのは、
①この呪文の意味を説明した上で言った、もしくは
②説明しなくても意味が分かる弟子たちに言った、
のだと私は思います。つまり、意味を分かった上で、原語のサンスクリット語で呪文を唱えたのだと思います。
●さて、般若心経の呪文の一般的な訳は次のようなものです。
  ・「行った者よ、行った者よ、彼岸に行った者よ、向かい岸へと完全に行った者よ、悟りよ、幸いあれ」
  ・これはNHKテレビテキスト『100分de名著 般若心経』での仏教学者・佐々木閑(しずか)氏の訳ですが、インド哲学の大家の中村元(はじめ)氏なども同じような訳をしています。
  ・正直なところ、この訳は私にはちょっと意味が理解しづらいです。
●そこで、般若心経の呪文「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶(ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼうじそわか)」をサンスクリット語からの音写でなく、その意味で漢訳したものを見てみましょう。
唐の僧の法蔵という人が直訳したものがこれです。「度、度、彼岸、彼岸普度、覚成就(ど、ど、ひがん、ひがんふど、かくじょうじゅ)」。
「度」の意味は①渡る、越える、②救う、③解き放たれる、の3つがありますが、ここでは①の「渡る」でしょう。
「彼岸普度」の「普」は①あまねく、すべてに広く、の意味です。
●この法蔵の呪文の直訳をもとに、日本人の高神覚昇師が素晴らしい意訳をしています。
なお、文章が過去形表現であることを記憶に留めておいてください。
  ・ 「自分も悟りの彼岸へ行った。人もまた悟りの彼岸へ行かしめた。普(あまね)く一切の人々を皆行かしめ終わった。かくてわが覚(さとり)の行(ぎょう)が完成した」
●大乗仏教の基本の考えは民衆救済です。「皆で一緒に救われよう」というものです。
●菩薩は「皆が救われるまで、自分も救われないで良い。苦しい世界で皆を救済する活動をし続ける」と決意したと言われています。皆が悟りの彼岸へ行き、救われたと分かったとき、菩薩は大感激し喜んだはずです。
●その理想の実現を高らかに宣言したのが、この呪文(マントラとも真言とも言う)であり、高神覚昇師の意訳です。
●そして、このサンスクリット語の呪文は、文法的に過去形と取ることも、未来形と取ることも可能です。そのため、サンスクリット語の元々の文章を過去形として扱わず、将来の希望として扱い、訳すことも可能と言われています。
●奈良の薬師寺の管主(かんす)だった高田好胤師は、般若心経の写経の納経料で薬師寺の伽藍を復興させた人として有名ですが、高田好胤師が「羯諦 羯諦・・・」の呪文を将来の希望として訳したものがあります。
  ・「行こう、行こう、さあ行こう、みんなで力を合わせ、心を合わせ、みんなで幸せの国を作りましょう。そして、みんなで幸せの国へ行きましょう。」
●高田好胤師の訳は「羯諦 羯諦(ぎゃてい ぎゃてい)」から始まって「波羅僧羯諦(はらそうぎゃてい)」までのもので、「菩提薩婆訶(ぼうじそわか)」が入っていません。
そこで、高神覚昇師の解釈を踏まえ、高田好胤師の訳文を参考にし、「菩提薩婆訶」までを含めて私として呪文を訳してみます。
なお、菩提薩婆訶は神仏に願い事をする時の最後に唱える言葉で、意味合いは「わが捧げものをご嘉納あれ!」です。
●私訳
  ・「なろう、なろう、皆でなろう。皆が善い生き方をして、幸せになろう。思いは叶うぞ。うれしいなぁ!」

第4項 皆で幸せになる(私見)
●般若心経の呪文の一般的な説明で言われる「悟りの彼岸」とは、真理(善い生き方)を知り、実践して、幸せになることだと私は思います。
●「皆で幸せになる」ことは菩薩の切なる願いです。
● 「皆で幸せになる」という言葉には2つの重要な意味が含まれていると思います。
   ・1つは、「皆で一緒に幸福になってこそ、幸せを心の底から感じられ、喜べる」ということです。
   ・もう1つは、「皆で幸福になることが、幸せになる秘訣である」ということです。一部の人たちが幸せであっても、他の人々が不幸であったら、一部の人たちの幸せも長続きしないからです。

付録:もう少し知りたい

この第6回は、般若心経のキーワードである「『空』と『般若波羅蜜多』と『呪文』」について論じることが主眼です。
これまでの説明でほぼ理解いただけたかと思いますが、『呪文』については若干詳しい説明を追加で行います。題して「付録:もう少し知りたい」です。
●漢字の「呪(しゅ)」について
  ・日本では「のろい」「まじない」の意味に取られることが多いですが、「呪(しゅ)」には「いのり」の意味もあります。
  ・漢字の「呪(しゅ)」は、もともと漢字の「祝(しゅく)」、意味は(いわう、いのる)から出来たものです。
●般若心経の「呪」について
  ・呪はサンスクリット語のマントラを漢訳したもので、他に呪文、真言、祈りの言葉、真実の言葉、などと日本語訳されています。
●仏教学者の米澤嘉康氏による「真実語」の研究によれば、
  ・古代インドでは、「誓いを公言し、誓いをある期間実践すると、誓いが真実の言葉となり、願うことが叶えられる不可思議な力を得る」と思われていた、とのことです。
●ここから言えること(私見)は、「誓いを実行するという努力を前提にしなければ、願いを叶える不可思議な力は出てこない」、ということでしょう。
  ・繰り返しますが、「努力を前提にしなければ、願いを叶える不可思議な力は出てこない」、というところがポイントだと思います。

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般若心経の意味を知る(第5回)

§5.日本で般若心経の意味が広く説明されてこなかった理由

日本で般若心経の意味が広く説明されてこなかった理由を日本での仏教の歴史から、考察してみます。 

第1節 日本での仏教の概略歴史

「日本での仏教概略歴史」を年表にしてみました。

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飛鳥時代の「仏教の導入」から始まって、奈良時代の「国家鎮護の思想」の広まり、鎌倉時代の「仏教の民衆化」があり、江戸時代には寺々が「統治機構の末端」を担い、明治初期には寺々への憤懣が爆発し、現在は仏教のあるべき姿が「模索」されています。

第2節 日本での仏教の歴史

それぞれの時代の仏教をもう少し詳しく見ていきましょう。
●聖徳太子は仏教の内容を教え、広めようとしました。
 ・維摩経(ゆいまきょう)、勝鬘経(しょうまんぎょう)、法華経(ほけきょう)という3つのお経について、教えの内容を解説する本を聖徳太子は執筆しています。その本のことをまとめて三教義疏(さんきょうぎしょ)と言います。
 ・また、聖徳太子はお経の内容を推古天皇その他の人々へ講義をしています。
 ・参考画像として、三教義疏のうちの1つである『法華義疏(ほっけぎしょ)』巻一の冒頭部分を示します。この『法華義疏』は聖徳太子が自ら書いたものと言われていて(異説もあり)、御物となっています。
●奈良時代には鎮護国家の仏教となっていきます。
 ・僧侶は国の官僚機構に取り込まれます。
 ・そして興味深いことには、(経典の内容理解よりも)読経の発音の正確さが重視されます。奈良時代の養老4年(西暦720年)には、「今後、僧侶は唐から来た僧などに読経するときの発音を習い、変な読み方をしないように」という詔(みことのり)が出ています。
●鎌倉時代に仏教は庶民に広がっていきます。
 ・「念仏を唱えることで救われる」などと簡単な教え方で仏教が広まっていきます。
 ・また、仏式の葬儀が少しずつ行われるようになったのもこの時代からです。
●江戸時代は寺が統治機構の末端になりました。
 ・キリシタン取締が目的の寺請制度の実施により、寺が民衆に対して権力を持つようになります。寺請制度とは、簡単に言えば、ある寺の檀家になることでキリシタンでないことを証明してもらう制度です。他国へ移動する時の許可証も寺が発行するようになり、民衆の上に寺が存在するようになってしまいます。
 ・寺は多くの檀家を保有し、経営基盤を確保しました。そうなると真面目に布教活動などをしなくなります。お経の教えなどを民衆に分かり易く伝えることなどはされません。
 ・もちろん多くの寺の中には民衆に寄り添った寺や優しいお坊さんもいたでしょう。しかし、全体の割合から言うと、寺は民衆の上に存在していたのです。
●明治時代の初めに廃仏毀釈が起こります。
 ・神道を国家統合の根本にしようとして政府が神仏分離令を出しました。これは仏教排斥を狙ったものではないと言われています。
 ・しかし、民衆の寺に対する怒りが爆発し、寺や仏具を破壊する廃仏毀釈運動が各地で起こります。
 ・廃仏毀釈に関する参考画像を2枚示します。1枚目は、修学旅行などでよく皆で記念撮影をする奈良・興福寺の五重塔(国宝)の写真です。

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この五重塔は、廃仏毀釈の時に当時の金額で25円(異説あり)、現在の貨幣価値に換算して10万円程度で売られそうになりました。
 ・2枚目は、江戸時代には西の日光と言われた大きな寺であった、奈良県天理市の内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)跡の写真です。廃仏毀釈で堂塔は破壊され、現在はかつての浄土式庭園の跡である池があるのみです。

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 ・廃仏毀釈は数年で下火になりますが、日本各地の寺は非常に疲弊しました。
●明治半ば以降、仏教研究の飛躍
 ・これまで中国や半島三国を経由して日本へ伝わっていた仏教は大乗仏教で、それ以外の仏教があることを日本ではほとんど知られていなかったのですが、世界との交流によって釈迦の元々の教えの原始仏教と小乗仏教が存在することが分かり、それらの研究が始まりました。
 ・また、漢訳の仏典だけでなく、仏教の経典が元々書かれた古代インド語のサンスクリット語の仏典による研究が始まりました。漢訳仏典は簡潔に表現されていますので、内容の理解がいろいろと可能です。そのため、誤った解釈がなされていることもあることが分かってきました。
 ・この時期、日本では仏教研究が飛躍的に進歩したのです。
●昭和後半以降、仏教の弱体化が進み、それへの対処策の模索と再生への取り組みが開始されます。
 ・戦後の高度成長で地方から都市へ人が大量に移動していきます。また、家制度の廃止、核家族化で寺の檀家との結び付きが弱体化します。
 ・『寺院消滅』の危機が発生し、それに対してどうしたら寺々が生き残れるかが模索され、再生への取り組みが一部で始まりました。
 ・参考画像として、近年出版された本の表紙を示します。1冊はタイトルそのものが『寺院消滅』で寺院存続の危機を書いています。もう1冊は寺院の再生への新たな取り組みを紹介している『ともに生きる仏教』です。

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 ・なお、団塊の世代の高齢化の伴い、生死の問題に関心が向くことが予想されますので、今後は寺々や仏教に対する関心度やニーズが高まってくると思われます。

第3節 日本で般若心経の意味が広く説明されてこなかった理由

第1項 統治のための利用
①奈良時代から鎌倉時代には般若心経だけでなく仏教全体が、鎮護国家の思想で活用されるようになりました。
・疫病(天然痘)、天災(大雨・日照り・地震)、反乱等から国家を守ることを祈るためのツールとして仏教が使われました。
②江戸時代になると寺院は統治機構に組み込まれ、寺請制度などで寺院の収入が保証されると、一部の心ある僧侶を除き、僧侶は本来の自分の使命である布教活動をしなくなりました。
③仏教の本質は「良い生き方の教え」なのですが、その教えは民衆へ広く説明されませんでした。

第2項 仏教の解釈と説明の難しさ
・日本への仏教の伝わり方や、伝わってくる情報の不十分さという歴史的事情により、仏教や般若心経を解釈・説明する際に難しさがありました。これも日本で般若心経の意味が広く説明されてこなかった理由のひとつと考えられます。
①仏教は、漢訳仏典によって日本へ伝わったため、解釈の難しさが増しました。
 ・漢字や漢文は簡潔表現の為、多くの意味に取れます。
②明治時代の半ばまで小乗仏教の存在が分からず、大乗仏教の般若心経の位置づけが理解困難でした。
 ・小乗仏教の情報は、江戸時代の鎖国が解かれ日本が世界と結び付くことによって、明治半ばに日本へ入ってきました。

第3項 分からないものを有難がる日本の変な思想
①分からないものを有難がる変な思想(集団的な特性)が日本にはあります。また、分からないものにしておくことで、有難がらせ、権威付けする傾向があります。
・この特性や傾向は、長い時間を掛けて一部の人達によって意図的に作られてきた可能性があります。
・その証拠に、経典の和訳や口語訳がほとんどされてきませんでした。他国では現地の言葉に訳されているのにです。
・また、日本人の話す普段の言葉で書かれた『心経鈔(しんぎょうしょう)』(*)は、近代の日本の仏教学者が編集した『日本大蔵経』にも『大日本仏教全書』にも入っていません。
 *『心経鈔(しんぎょうしょう)』は江戸時代前期の僧侶の盤珪永琢(ばんけいえいたく)が書いた『般若心経』の解説本です。
・なお、念のため言葉を付け加えておきますが、近年、心ある僧侶や仏教学者は「上記のようなことではいけない」と、経典を分かり易く説明する取り組みを始めています。

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般若心経の意味を知る(第4回)

§4.般若心経を現代日本語に訳してみる

第1節 はじめに

般若心経の全文訳を取り上げるのは長くなりすぎるので、全体をその内容から6段落に分けて段落ごとの要約を説明します。
段落ごとに要約して読むと、般若心経の全体の文章の流れ(論理展開)が分かり、内容が理解しやすいのです。
具体的には般若心経に次のように段落をもうけました。全体的には次の図のようになります。

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それでは段落ごとに要約します。

第2節 般若心経の各段階の要約

第1項・・・「観自在菩薩(かんじざいぼさつ)」から「度一切苦厄(どいっさいくやく)」まで
  ・観自在菩薩(観音様)は、全ての人を苦しみから救いたいと思い、それが実現されるまでは仏にならず、人々と一緒の世界に住んでいようと考えていました。
  ・観音様は修行していた時、「人間を形作っているものは絶えず変化し、それ自身の性質(固定的な本質)が無いのだ」と明確に認識しました。
  ・そして、般若経の持つ不思議な力、絶大な力について気付き、一切の苦しみや憂いから解放されたのです。

第2項・・・「舎利子(しゃりし)」から「亦復如是(やくぶにょぜ)」まで
  ・観音様は舎利子に次のように教えました。
  ・以前にお釈迦様は、こう言いました
    「人間は肉体と心で成り立っています。
    肉体は小さな物質の要素が組み合わさって出来た集合体です。
    物質要素の組み合わせも、周囲の環境も、時とともに変化し、それぞれが影響し合って変わっていきますから、『完全に固定的なものはない』と言えます。
    心もいろいろなことで変化し、影響し合って変わっていきますから、『完全に固定的なものはない』と言えます。」
  ・そしてお釈迦様は、世の中のすべてのものは「完全に固定的なものはない」から、何事も変えることができ、人は苦しみから脱却できると説きました。
  ・「完全に固定的なものはない」ということをお釈迦様は「空のようなもの(釈迦の空)」だと言ったのです。
  ・しかし、大乗仏教の智慧が完成・凝縮された「般若経」では、すべてのものが「空のようなもの」ではなく、「空そのもの」なのです。存在しないのです。

第3項・・・ 「舎利子(しゃりし)」から「以無所得故(いむしょとくこ)」まで
  ・すべてのものが無く、人間を成り立たせている要素も無いのですから、その存在を前提としてお釈迦様が説かれた、人の心に苦しみが発生する仕組みと、それを消滅させる方法もないことになります。
  ・つまり、世の中の構成要素の分析や理論によって、世の真実を把握し、人間を救うことはできません。

第4項・・・「菩提薩垂(ぼだいさった)」から「得阿耨多羅三藐三菩提(とくあのくたらさんみゃくさんぼだい)」まで
  ・そのため、悟ろうとする者や、人々を救おうとしている者は、神秘な絶対的な力を持つ「般若経の最重要部分」を拠り所とするのです。

第5項・・・ 「故知(こち)」から「説般若波羅蜜多呪(せつはんにゃはらみたしゅ)」まで
  ・般若経の最重要部分は、あらゆる苦しみを鎮める、信頼の置ける、思いが叶う祈りの言葉です。

第6項・・・「即説呪曰(そくせつしゅわっ)」から「般若心経」まで
  ・思いが叶う祈りの言葉は次の通りです。
    「なろう、なろう、皆でなろう。
    皆が善い生き方をして、幸せになろう。
    思いは叶うぞ。うれしいなぁ!」

第3節 各段落のさらなる要約

各段落の要約をさらに圧縮してまとめると次のようになります。
第1項・・・観自在菩薩は、般若経の持つ不思議な力、絶大な力について気付き、一切の苦しみや憂いから解放された。
第2項・・・釈迦は、世の中のものに「完全に固定的なものはない」から、何事も変えることができ、人は苦しみから脱却できると説いた。しかし、大乗仏教の智慧が完成・凝縮された「般若経」では、すべてのものが存在しないと説く。
第3項・・・釈迦が説いた「世の中の構成要素の分析や理論によって、世の真実を把握し、人間を救う」、ということはできない。
第4項・・・悟ろうとする者や、人々を救おうとしている者は、神秘な絶対的な力を持つ「般若経の最重要部分」を拠り所とする。
第5項・・・般若経の最重要部分は、思いが叶う祈りの言葉である。
第6項・・・思いが叶う祈りの言葉を伝授。
この「各段落のさらなる要約」から読み取れる文章の流れ(論理展開)は、第1項は観自在菩薩が覚ったということを述べ、第2項から第6項まではその覚った内容について観自在菩薩が舎利子に教えているということです。
そして教えの内容は、「釈迦の教えを乗り越えていき、大乗仏教の思いが叶う祈りの言葉を伝授する」というものです。

第4節 般若心経の理解のポイント

般若心経は大乗仏教の思想で書かれた教えです。
釈迦の教え(*1)を乗り越え、新しい大乗仏教の教え(*2)で救われようと説いています。
それが釈迦も望んだ民衆救済につながる方法であるという考えです。
*1:釈迦の教えとは、世の中を理屈で考え、自己努力で救われよう、というものです。
*2:大乗仏教の教えとは、自己努力はしつつも、神秘的・絶対的な力に頼って救われよう、というものです。
なお、前述第1項の観自在菩薩の覚りは、第1ステップとして釈迦の教えを明確に理解し、次に第2ステップとして(思索が深まって)、大乗仏教の教えである神秘的・絶対的な力にも頼るべきことを知った、と解釈すると分かり易いです。

第5節 般若心経の全文訳について

なお、般若心経の全文訳は拙著『般若心経 私のお経の学び(1)』を参照ください。
ページを上下2段に分けて、上段には漢訳の経文を、下段には現代日本語の通読訳(始めから終りまで一通り読み通すことが出来る訳)を載せています。
また、重要単語の逐語訳も書き添えました。

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般若心経の意味を知る(第3回)

§3.般若心経の意味が分からない理由

般若心経の意味が分からない理由としては、
「1.言葉が分からない」
「2.訳文の意味が分からない」
「3.現代の日本の常識から言って、内容が理解しにくい」
「4.肝心なことの説明がない」
が挙げられます。

1.言葉が分からない理由

「1.言葉が分からない」ことの中身を具体的に見てみます。
①漢訳のお経は漢字の羅列で文の区切りがありません。そのため、当然のことながら、どう読み、どう解釈するか不明です。
②言葉が難しく意味が分かりません。これは後で実例Aとしても説明しますが、音写(おんしゃ)と呼ばれるものが大きな原因です。
音写とは、古代インド語であるサンスクリット語の言葉が、一部、意味ではなく音で漢訳されていることです。
音がそのまま写されているのです。そのため、漢字の意味から、その言葉の意味を推測することは不可能です。
音写部分が特殊な文字、例えば日本語の場合は外来語をカタカナで書きますが、そういうことは漢文ではありませんから、日本人には音写であることすら分からないのです。
③省略されている内容が分かりません。これについても後で実例B(乃至、ないし)として説明します。
実例A:言葉が難しい(音写)
●般若心経を漢訳した玄奘三蔵法師は、漢訳方針として次の5種類のものは意訳でなく音写をしました。
①秘密の言葉であり、音を変えてしまうと呪力が減ってしまうと思われるもの。
②以前から音写が定着しているもの。
③多くの意味を持っている言葉。
④インドにあって中国にないもの。
⑤訳すことで言葉の重みがなくなってしまうもの。
●般若心経に含まれる音写の言葉の一例は「般若」です。
・「般若」は「仏の優れた智慧」という意味です。
・「智慧」と訳すと、先に述べた音写方針の⑤「言葉の重みがなくなってしまう」と考えたのです。
実例B:省略されている内容が分からない
●仏教の知識不足のために、般若心経の文中で文言が省略されていること、およびその内容が分からないということです。
●省略の一例は「眼界も無く、乃至、意識界も無し(げんかいもなく、ないし、いしきかいもなし)」です。
●乃至(ないし)は○○から○○までという意味ですから、間に入るものがあります。
・この例の意味は、仏教が人間を捉えるときの考え方である「十八界」の、眼界から意識界までの18個の界も全て無いということです。
・ 「十八界」=(イコール)眼や耳や鼻などの6個の感覚器官+(プラス)色(形)や声や香などの6個の感覚対象+(プラス)感覚対象を感知して生じる6個の認識=(イコール)18個というものです。

2.訳文の意味が分からない理由

●訳文の意味が分からないものとしては3つの種類があります。
①は文字通り、「訳文の意味が分からない」ものです。実例Cとして後ほど述べる「照見五蘊皆空度一切苦(しょうけん ごうん かいくう ど いっさい く)」が、これに当たります。
②は「同じ言葉の主語と述語の入れ替えの意味が分からない」というものです。実例Dの「色即是空、空即是色(しきそくぜくう、くうそくぜしき)」が、これです。
③は「似た言葉が列挙されているが、その意味の違いが分からない」です。実例Eの「色不異空、色即是空(しきふいくう、しきそくぜくう)」で説明します。
実例C:訳文の意味が分からない
●「照見五蘊皆空度一切苦(しょうけん ごうん かいくう ど いっさい く)」について、解説書には、
①「五つの要素がいずれも本質的なものではないと見極め」ることで、
②「すべての苦しみを取り除かれた」
と説明してありますが、どうしてこの①と②の2つが繋がるのかの説明がありません。
また、五つの要素についても説明が不足しています。
●そのため、訳文の意味が分からないと感じるのです。
●なお、参考までに末尾付録の「もう少し知りたい」に「照見五蘊皆空度一切苦」の解釈を掲載しています。
実例D:同じ言葉の主語と述語の入れ替えの意味が分からない
●「色即是空」と「空即是色」は主語と述語が入れ替わっています。
●現代日本語訳の一例(花山勝友師)
  「色即是空」・・・形あるものはそのままで実体なきものであり
  「空即是色」・・・実体がないことがそのまま形あるものとなっている、です。
・正直言って、私はこの日本語訳は分かりづらいと思いました。
●私が、納得がいった宮坂宥洪(みやさか ゆうこう)師の説明は次の通りです。
・サンスクリット語では、主語と述語が入れ替わっても意味は変わらない。
・つまり 「色即是空」=(イコール) 「空即是色」。
・これですと、私は理解できるように感じました。複雑な解釈をする必要がないからです。
・意味は「形あるものは変化し、それ自身の性質(固定的な本質)はない」と理解すれば良いと思います。
実例E: 似た言葉が列挙されているが、その意味の違いが分からない
●「色不異空」と「色即是空」は、「色は空に異ならず」と「色は即ちこれ空」と読め、意味は似た言葉と思われますが、何か違いがあるのでしょうか?
●違いはありません。両方とも「色は空である」と同じことを述べています。
●古代インドでは、「重要なことは繰り返して言う」ということが行われていました。

3.現代の日本の常識から言って、内容がりかいしにくい理由

●現代の日本の常識から言って、内容が理解しにくいものの例は「不生(ふしょう)にして不滅(ふめつ)、不垢(ふく)にして不浄(ふじょう)、不増(ふぞう)にして不減(ふげん)なり」です。
・現代の常識で考えれば、いろいろなものが生まれ、死滅していきます。物は汚れ(垢がつき)、掃除をすれば綺麗(浄らか)になります。増えもすれば、減りもします。
●常識から言って、理解しにいことが書いてあるのは、「不生不滅・・・不増不減」の文の前提として「この世は『空』で、何もないから」と述べられているためです。
●なお、付録の「もう少し知りたい」に、「不生不滅・・・不増不減を理解するには」を掲載しています。

4.肝心なことの説明がないことについて

●般若心経は般若経の「空(くう)」の思想や「因縁果(縁起)」の法について教えているお経だと一般に言われているのですが、般若心経には「空」や「因縁果(縁起)」について詳しい説明がないのです。
●近年、仏教学者の村上真完氏は「『般若心経』の空を理解することは、『般若心経』だけからでは容易にできない」と述べていて、他の仏教学者もこのことに賛同しています。
●なお、付録の「もう少し知りたい」に、「空とは、因縁果(縁起)とは」を掲載しています。


付録:もう少し知りたい

 この第3回は「般若心経の意味が分からない」ことを論じることが主眼ですが、出てきた文言の意味や問題の答えなどが分からないままでは、消化不良の気持ちになる方もいらっしゃると思います。
 そのため、付録として若干の説明を述べます。題して「もう少し知りたい」です。
●「照見五蘊皆空度一切苦」の解釈
「照見五蘊皆空度一切苦」は2通りの解釈が可能です。
・解釈1は、「五つの要素がいずれも固定的な実体がなく、いろいろなものの影響で変わっていくものなので、執着することを止めて、苦しみから脱却した」というものです。
・解釈2は、「五つの要素がいずれも実質的に存在しないので、理論的に考えることは不可能だから、絶対的なもの、神秘的なものに頼って、すべての苦しみから脱却した」というものです。
●「不生不滅、不垢不浄、不増不減」を理解するには
・「不生不滅、不垢不浄、不増不減」の前にある文の「「是諸法空相(ぜしょほうくうそう)」が、「この世の中のあらゆる存在や現象は『空そのもの』で、何もない、ということだから」、「空という考えに立てば」という意味であることが分かると、「不生不滅・・・不増不減」も理解可能となります。
・何もないのだから、生まれも滅びもしないのです。
●「空」とは、「因縁果(縁起)」とは
・「空」とは、簡単に言えば「無」、「空っぽ」のことです。多少難しく説明すれば、「空とは、絶えず変化しているため、それ自身の性質(固定的な本質)がないこと」です。
・「因縁果(縁起)」とは、ものごとの直接的な原因と、間接的に影響するものである「縁」と、それらによって生じる結果のことです。
・仏教の基本的な考えは、「世の中に存在するものは、絶えず変化して、それ自身の性質(固定的な本質)はなく、互いに因縁果の関係で影響し合っている」というもの です。

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般若心経の意味を知る(第2回)

§2.仏教の概略歴史(成立期)

仏教の成立期の歴史を知ると般若心経の内容がよく理解できるようになりますので、成立期の概略の歴史を見てみましょう。

クイズ
・本題への呼び水として、ここでクイズをします。仏教の経典であるお経について、次の3項目のうちどれが正しいでしょうか?
①お経は釈迦の教えである。
②お経は釈迦の教えではない。
③お経は釈迦の教えであるとも、教えでないとも言える。
・正解は③です。
・お経は、釈迦の没後に弟子たちが集まり、「私は釈迦の教えをこう聴いた」(如是我聞、にょぜがもん)と話し合ってまとめました。
・その後、「釈迦の考えはこうだったに違いない」と思われたものも、お経としてまとめられました。
・つまり、お経の思想のベースは釈迦の教えですが、経典はいろいろな人達によって作られたのです。

仏教の概略歴史(成立期)の年表

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・図表の「仏教概略歴史(成立期)」を見て下さい。紀元前463年に釈迦が誕生し、紀元前383年に80歳で釈迦は亡くなります。釈迦は歴史上に実際に存在した人物なのです。
・釈迦没後まもなく、第1回結集(けつじゅう)が行われます。結集とは、言うならば経典作成会議で、釈迦の弟子たちが集まって、皆で釈迦の教えを思い出し、経典にまとめようとする会議です。
・第2回、第3回の結集も行われます。原始仏教経典が作られ、小乗部派の分裂があり、大乗仏教運動が興り、大乗仏教経典が作られていきます。
・般若心経は、紀元400年頃作成されます。釈迦が亡くなってから約800年後に作られたことになります。

釈迦・原始仏教・小乗仏教・大乗仏教
 ●釈迦
・仏教の成立期の歴史をもう少しだけ詳しく述べます。
・お釈迦様と一般に言われるゴータマ・シダッタ(以下、釈迦と記載)はインドで生まれた実在の人物です。
・釈迦は人間が種々の苦しみから解放されるためにはどうしたら良いかを知りたいと、修行や瞑想(真理探究の思索)を行いました。そして修行開始から6年、釈迦は苦しみの原因や苦しみから解放される方法を把握したのです。
・釈迦は真理を覚った人とのことで覚者(インド古代語のサンスクリット語でブッダ)と呼ばれるようになりました。
 ●原始仏教
・釈迦の教えは原始仏教と呼ばれます。以下はその要点です。
・万物は非常に小さい物質の基本要素が組み合わさって出来ていて、それらは絶えず原因と縁によって変化し、結果が出て来ます。
・「全てが移ろい変化していく」ことを知れば、ものごとや自分に執着することがなくなり、心が安らぎます。
・執着を断ち切るためには真理を理詰めで考えて納得し、自分を自己努力で救うことが必要です。
・日頃の生き方として勧めていることは、「良いことをして、悪いことをせず、心を浄(きよ)らかに保つ」ことです。
 ●小乗仏教(現在の呼称は部派仏教、上座部仏教)
・釈迦と同じように真理を覚りたいと多くの出家者が山に籠り、緻密な分析や理論構築を行いました。
・出家者は自分が苦しみから脱却できることを求めました。在家の人は出家者に布施を行い支援することで、出家者の功徳を間接的に得ようとしました。これは小乗仏教と呼ばれます。
・小乗とは少人数の乗り物という意味で、「これまでの仏教は少人数しか救済できない」と、後から興った大乗仏教側が相手を悪く言ったものです。
   (部派仏教とは釈迦の教えに対する解釈の違いによって仏教界が20ほどの部派に分かれた状況を言いいます)
 ●大乗仏教
・小乗仏教が緻密な理論構築に取り組んで、直接的に民衆救済をしなかったことや、インド国内が戦乱で疲弊し、一般民衆が出家者の支援をしていられなくなったことで、大乗仏教の考えが広まっていきます。
・大乗仏教は、出家者は民衆の中に入って多くの人々を救済しなければいけないと考えました。
・大乗仏教の考えは、「非常に小さい物質の基本要素はない。因縁果の法則もない。理論的に真理を把握して安らぎを得ることはできない」という考えです。そこで、「神秘的な力に頼る」という考えが示されます。
・大乗仏教はある意味、釈迦の教えを否定し、乗り越えようとしたと言えます。一方では人間救済の釈迦の教えに回帰したとも言えます。

インドでの仏教興隆と日本までの伝播の経緯

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・インドで仏教が興ってから日本へ伝わってくるまでの経緯を図でもって見てみましょう。インドの状況は再度の説明です。
・インドで起こった原始仏教(釈迦の仏教)は、真理を覚り、自己努力で解放されようという教えです。
・その後、この真理を覚り、自己努力で解放されようということが、出家をして緻密な理論構築をすることに埋没してしまうようになり、民衆救済を後回しにするようになります。いわゆる小乗仏教が盛んになってきます。
・そこで、民衆救済に注力する大乗仏教が興ってきます。
・小乗仏教と大乗仏教は共に中国へ伝わるのですが、小乗仏教は民衆救済の考えの面で中国では受け入れられませんでした。中国では大乗仏教だけが広まったのです。
・そのため、中国から直接、または中国から半島三国(百済、新羅、高句麗)を経由して日本へ伝わった仏教は大乗仏教でした。日本では明治の初めまで大乗仏教のことを仏教と理解し、大乗仏教以外の仏教があることをほとんど知りませんでした。

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般若心経の意味を知る(第1回)

はじめに

 ●奈良の寺々
  ・奈良には東大寺、法隆寺、薬師寺、唐招提寺など沢山の寺があります。

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 ●奈良は仏都
  ・奈良(県)には多くの寺があり、素晴らしい仏像や芸術品が数多くあります。
  ・具体的に言いますと、国宝彫刻、これは仏像が大半ですが、全国136件中74件、割合にすると54パーセントが奈良にあります。また国宝建造物、これは大半が寺ですが、全国227件中64件、28パーセントが奈良にあり、全国の都道府県で一番多いです。
 ●私の奈良巡りの変化
  ・私の奈良巡りの変化を一言で言いますと、「観光から感動へ、そして『仏の教え』へ関心が移っていった」ということです。
  ・最初は観光気分で奈良巡りを始めました。
  ・寺々を訪ねているうちに、唐招提寺の鑑真和上、薬師寺関連で玄奘三蔵法師と高田好胤師、東大寺の行基菩薩と公慶上人、法隆寺の聖徳太子、などの生き方を知って感動しました。
  ・その人たちを行動へと突き動かした「仏の教え」とはどんなものだったのか?!そこへ関心が移っていきました。
  ・そこで、まずは読経や写経で身近な般若心経の意味を知りたいと思いました。
 ●本シリーズの内容
  ・次の7セクションに分けて般若心経の意味を述べるようにします。
    §1:般若心経とはどんなものか?
    §2.仏教の概略歴史(成立期)
    §3.般若心経の意味が分からない理由
    §4.般若心経を現代日本語に訳してみる
    §5.日本で般若心経の意味が広く説明されてこなかった理由
    §6.空と般若波羅蜜多と呪文(真言)の再考
    §7.私たちにとっての般若心経の価値(添付:本シリーズのポイント)

§1.般若心経とはどんなものか?

 ●孫悟空も聞き、スティーブ・ジョブズも唱えた般若心経

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  ・画像の写真は、左側が物語『西遊記』の主人公の孫悟空で、右側がアップル社の共同設立者の一人であるスティーブ・ジョブズです。
  ・ちなみに、孫悟空に扮している人は堺正章さんです。
  ・孫悟空が般若心経を聞いた、スティーブ・ジョブズが般若心経を唱えたということが、どうして言えるかと次の通りです。
 ●孫悟空のお師匠様
  ・『西遊記』で孫悟空のお師匠様は三蔵法師です。この三蔵法師のモデルと言われる人は、中国からインドへ仏教を学びに行った玄奘三蔵法師です。
  ・玄奘はインドへの求法の旅で困難に遭うと、般若心経を一心に唱えました。
  ・当時、鳩摩羅什という僧侶が漢訳した経典の般若心経があったのです。鳩摩羅什訳の経典の正式名称は『魔訶般若波羅蜜大明呪経』と言いますが、大明呪とは「素晴らしい呪文」という意味です。
  ・玄奘はインドから中国へ帰って仏教経典の漢訳をするわけですが、『般若心経』は鳩摩羅什訳を尊重して漢訳しました。鳩摩羅什訳の『般若心経』に助けてもらったという気持ちが強かったのだろうと思います。

 ●オークションで落札された『AppleⅠ』とスティーブ・ジョブズのメモ
  ・『AppleⅠ』はApple社が作った最初のコンピューターで、製造年は1976年です。この1976年製の完全に動作する『AppleⅠ』が、2012年のオークションにおいて約3,000万円で落札されました。
  ・同じ日のオークションで、スティーブ・ジョブズが19歳の時に書いた4枚のメモ用紙が約220万円で落札されました。
  ・メモ用紙の末尾には般若心経の呪文(真言、思いが叶う祈りの言葉)が英文で書いてありました。オークションを伝える記事に載っていた、そのメモの日本語訳は「進み、進み、超えていく。常に超えて進み、悟った者になっていく」です。先端技術で製品を開発していくジョブズのイメージにピッタリの訳のように思いました。
 ●ビートルズのジョン・レノンも般若心経に関心を持っていた
  ・ビートルズのジョン・レノンも般若心経に関心を持っていました。彼の着ているジャンバーの袖には「魔訶般若波羅蜜多心経」という文字が施されています。
 ●一般的な般若心経
  ・日本で一般に広まっている般若心経は玄奘が漢訳したものをベースにして、若干だけ玄奘訳とは異なるところがある「流布本」と言われるものです。

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  ・般若心経の流布本の文章は画像の通りです。出だしの「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄(かんじざいぼさつ ぎょうじん はんにゃはらみたじ しょうけん ごうんかいくう どいっさいくやく)・・・」という文言は多くの人が聞いたことがあるのではないでしょうか。
  ・漢文のお経は、全く意味が分かりませんので、次に読み下し文を見てみましょう。
 ●般若心経の読み下し文

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  ・般若心経の読み下し文の出だしは、「観自在菩薩 深般若波羅蜜多を行ずる時、五蘊は皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したもう。・・・」です。読み下し文でも意味がほとんど分かりません。意味については追い追い考えていくとして、ここでは般若心経とはこんなものだという認識をしておけば良いと思います。
 ●般若心経の大本と小本
  ・実は般若心経には、全体を表した大きな本で「大本」と呼ばれるものと、その中の一部分を抜き出した「小本」と呼ばれるものがあります。一般に般若心経として親しまれているのは小本のことです。
  ・小本が本文部分で、大本は小本の前に前段部分を、小本の後に後段部分を配置したものです。前段部分は、どういう状況でこの教えが語られたか、という状況説明が書かれています。後段部分は、この教えが素晴らしいとの賛嘆の言葉が書かれています。
  ・教えが説かれる状況は、次のように説明されています。釈迦は山で瞑想(真理探究の思索)をしていました。周りには多くの弟子や菩薩たちがいました。そこの菩薩の一人である観音菩薩に、釈迦の弟子の中で智慧が一番優れている舎利子が「般若波羅蜜多」について尋ねます。なお、舎利子は舎利弗とも訳されている人で、阿弥陀経などでよく「シャリホー」と読み上げられています。
  ・後段の部分の、「教えの内容を賛嘆する」情景は、次のように描かれています。観音菩薩が舎利子に教えた内容を釈迦が素晴らしいと太鼓判を押します。そして多くの弟子や菩薩たちが、素晴らしい教えだと褒め称えます。

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