鏡清澄が推奨する奈良の月々の情景

2025年10月 1日 (水)

3月:雪の唐招提寺・・・【奈良に誓う】の「第十章 陽光」より

・・・前略・・・

 貴一はあずさを連れて、芭蕉の句碑がある旧開山堂のわきの階段を上っていく。ポタッ、ポタポタッと水滴が二人の頭に降ってきた。木々の枝や葉に積もった雪が融けて落ちてきたのだ。貴一は傘を広げてあずさの頭上にかざした。木々の枝が大きく張り出している下を通ると、パラパラッと大小の水滴が傘にあたって音を立てた。

 二人は御影堂を囲む土塀のところへ来た。塀の上にわずかに御影堂の屋根が見える。土塀に沿って歩いていき、御影堂の門の前を通り過ぎた。左手は腰の高さの土手になり、土手の上には竹で垣根が作られている。木々が生えていて、その根が地面から浮き出ていた。右手は土手も垣根もなく木々が鬱蒼としている。左手と同じく木の根が地表に出ていた。歩いていく地面の雪は一様ではない。木々の枝と葉が上にあるところはほとんど雪がなく、それらがないところは雪が積もっている。積もった雪も徐々に融けてきて地面がジクジクし始めている。貴一はあずさの手を取った。やがて道の左側が古びた土塀になった。土塀は土の地肌の中に古瓦が幾つもの層を作って塗り込められている。わずかに上に反っている瓦、穏やかにうつ伏せになっている瓦、それぞれが作る波線が静かで美しい。土塀の上には黒い瓦が並び、屋根になっていて、その上にところどころ雪が載っていた。道の右側はこれまでと変わらず木々が生えている。視線を行く手の先に向ければ、雪に濡れた土塀が両側に連なっていた。

 塀が切れ、門になっている所を貴一は左に曲がる。あずさも土塀の中に入った。その瞬間、地面の緑が目に飛び込んできた。苔だった。何本もある杉木立が降る雪を止めたのだろう、鮮やかな緑の苔だ。水を吸って生き生きしている。雪が降り、融けていないところはまだうっすらと白い。数多い立ち木の根本の一部は雪がなく土が顔を出している。苔と雪と土が場所を棲み分けているかのようだった。それほど広くはないが、ここは苔の庭なのだとあずさは思った。木々の枝や葉に積もっている雪に陽が射して、そこかしこで銀色に輝いている。雪は少しずつ融け、雫となって小枝や葉の先から落ちている。葉の先端の雫が陽の光を宿し、大きくなって、地面に一つ、また一つと降っていく。

 足下を見ると、一本の道が緩やかな下り坂になって前へ延びている。玉砂利が敷かれていて、雪はほとんどなかった。貴一は傘をかざしてあずさと歩いていく。その時、視界を横切るものがあった。小鳥だ。小鳥が鳴いている。リュリュン、リュリュン、リュリューン。ピピーッ、ピピーッ。チュ、チュ、チュ。明るい声が聞こえてくる。パサッと音がした。雪が木の枝から苔の上に落ちたのだ。鮮やかな緑が白くなった。バサッと雪の落ちるもう一段高い音が後方から聞こえた。二人が立ち止まって振り返ると、落ちた雪の後に続く無数の雪のかけらが、陽を浴びて光の霧となり、キラキラと輝いて降っていた。

・・・後略・・・

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12月:唐招提寺の鑑真和上の廟所・・・【萬世同薫】の「第五章 同薫」より

・・・前略・・・

 永田は頷いて玉垣の文字を見た。判読しようとしたが、多くの箇所で分からない。

「非常に達筆で、読めません。詩もとても難しいように思います。なんと書いてあるのですか」

「石に彫ってありますから、読みづらいのでしょう。詩はこのように書いてあります」

 西川は前かがみになって行書体の漢字を指差しながら、書き下し文で読んだ。

「像の立つこと人在るが如し。

喜ぶ、豪情の帰り来たること万里、天に浮かび海を過(よぎ)るを。

千載一時の盛挙、更に是れ一時千載なり。

添うるに恩情代々に尽きず。

還りて大明明月の旧に復し、招提と共に両岸光彩騰(あ)がる。

兄と弟と、倍して相愛す」

 西川は御廟に向かって右側の玉垣の詩を読み終わり、左側の玉垣へ移って行った。永田は西川の読む詩を真剣に聴き、ときに頷き、ときに考えていた。そんな永田を貴一はじっと見つめていた。読み上げられた後半部分で永田の印象に強く残ったのは、「民族の脊梁(せきりょう)は夸(こ)語(ご)に非(あら)ず」、「魯迅衷(こころ)より感慨す」、「千廻百折するも能く碍(がい)無し」という三つの言葉であった。

・・・中略・・・

 焼香台の上にある暗緑色の大きな香炉に目をやった永田が、香炉の正面の胴に浅く刻まれた文字を見つけた。横に四つの文字が並んでいた。永田は右から左へ読んでいく。

「萬世同薫。いつの世でも同じように薫る、という意味ですね」

「そうです。鑑真和上が日本へ来るきっかけになったと言われています『風月同天』という言葉、場所は違っても風月は天を同じくしているという言葉を踏まえての表現のように思われます」

「ところは違っても同じ思いを持つ人がいて、時は変わっても同じように薫る……」

「鑑真和上は何度もの困難に負けず、初心を変えることなく、中国から日本へやって来ました。そして、ここ奈良の唐招提寺を拠点に全国へ仏教や文化、その他のいろいろなことを広めました。その心の尊さがどの場所にも伝わり、いつの世にも影響を与えるのだと思います」

「森本孝順長老と趙樸初会長も、同じように世の中に影響を与え合い、輝き合ったのですね」

 永田は感慨深げに言った。そして、王のことを思い、微力ながらも自分たちも協力し合って、さらに良い仕事をしていこうと心を新たにした。そのような永田の言葉を聴き、表情を観ていて、貴一はまたひとつ学んだように思った。

・・・後略・・・

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11月:奈良公園の紅葉・黄葉・・・【奈良に誓う】の「第八章 講堂跡」より

・・・前略・・・

「空がとても大きいわ。地面が広いせいか木や建物が低く感じられて、ゆったりと落ち着いて見えます」

 あずさが奈良公園のおおらかさを喜んでくれているのを見て、貴一の心配は消えていった。

「向こうに紅葉の綺麗なところがあるから行こう」

 二人は浮雲園地を北の方へ歩いて行った。

「ウワー」

 感嘆の声をあずさが上げた。カエデが真っ赤に紅葉している。木は大きくなく、趣のある枝ぶりである。紅いいくつもの葉が連なって広がり、浮き上がって見える。陽があたって赤い葉が透けて光り輝いている。紅や黄色のカエデが小さな川を挟んで両側に何本もあり、重なり合ってずっと続いていた。紅葉のトンネルの下に流れている小川は、ところどころ段差のあるところで小さな滝のように水を落としている。木の根本には散ったカエデが茶や赤の色をして敷いたようになっていた。

「写真を撮らせてもらっていいかな? そこに立ってみて」

 貴一はポケットに入れていた小型のカメラを出してあずさにレンズを向けた。あずさははにかむようにカエデの木の側に立った。久しぶりにレンズ越しにあずさを見て、その美しい顔が以前にも増して美しくなっていると貴一は思い、何度もシャッターを押した。

 川に沿ってなだらかな斜面を上って行く。あずさは貴一についていきながら川岸のそこかしこに鹿の姿を見た。一頭の鹿のみが角を生やしているのを見て、他の鹿が角切りをされ、この鹿だけが角を切られなかったのだと気付いた。

「この川は吉城(よしき)川(がわ)といって、奈良公園でカエデが一番綺麗なところなんだ」

貴一の説明にあずさは頷き、感動の面持ちで真っ赤なもみじを観ていた。貴一は、あずさが秋のひんやりした空気で寒くないだろうかと一瞬気にかかったが、陽が射しているから大丈夫だろうと思った。橋がある。橋に書いてある名前をあずさは読んだ。

「春日野橋」

 確か燈花会の時も小さな橋を渡ったような気がする。この橋だったのかとあずさは思う。あの時は夜だったから、木々がこんなに美しく紅葉するカエデだったとは想像もしなかった。橋を渡った先は広大な白い芝生の野であり、空には大仏殿の大きな屋根とふたつの輝く鴟尾が見えた。

「ここが春日野園地」

 しばし二人は広い園地と青空にくっきりと建つ大きな屋根に見とれた。

・・・後略・・・

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10月:正倉院展・・・【萬世同薫】の「第四章 書状」より

 氷室神社・国立博物館のバス停でバスを降り、車に気をつけて狭い道路を渡った。奈良公園の芝生に一頭の鹿がいて、澄んだ瞳でこちらを見ている。貴一は鹿に微笑んだ。鹿が首を回して歩き去っていく。その先に立て看板があり、正倉院展と書かれていた。シンプルで機能的な美しさを持つ国立博物館新館の壁面にも正倉院展と大書された看板が掲げてある。貴一はこの展覧会を楽しみにしていた。シルクロードの終着点といわれる正倉院の御物が、年に一度公開されるのだ。レトロな欧風建築の国立博物館本館を右に見て、左手の新館に向かっていく。開催初日で開館四十分前の時間だが、入口前にはもう人の列が出来ていた。入場券を買おうとする人たちの列と、既に前売りの入場券を持っている人たちの列があり、入場券を持っている人たちの列は、入場整理のテープによって幾重にも折りたたまれたようになっていた。数百人が並んでいるように思えた。みんな早くから来ている。

 貴一は前売り入場券を持っている人の列の後ろについて並び、これぐらいの人数なら、まだゆっくり観られるなと思った。ポケットから入場券を取り出して、そこに印刷されている琵琶の写真を見る。螺鈿(らでん)がちりばめられた美しい楽器である。これを一番に見に行く積りだ。今回は出品物を事前にチェックできなかったが、入場券に載っている琵琶の現物を観るだけでも満足感が得られると思った。貴一は正倉院の琵琶というだけで、是非とも観たいという気持ちになる。それは以前に観た螺鈿(らでん)紫檀(したん)五(ご)弦(げん)の琵琶がとても素晴らしかったからだ。いろいろな貝を薄く加工して琵琶にはめ込み、ラクダに乗った人や樹や鳥などの絵を描いていた。今回展示されるのは「楓(かえで)蘇芳染(すおうぞめ)螺鈿(らでん)槽(そう)琵琶(びわ)」というものだ。いつの間にか、貴一の後ろに次々と人が並んで、非常に長い列になっていた。

 開館時間の二十分前に入場が始まった。あまりの人の多さに開館時間を繰り上げたのだ。人が次々と博物館へ入っていく。貴一はゾロゾロと入館していく人の後について入口を入り、階段を上って二階の展示コーナーまで来た。しかし、そこからは大勢の人がするように手前の展示物から順にゆっくり観るということはしなかった。会場をサッと見渡して歩き、「琵琶」を探した。あった。足早に近づいていく。

 琵琶はガラスケースの中に、斜めに傾けて展示されている。演奏している時の角度で見せているのだろう。琵琶の弦を巻き取る部分が九十度に折れ曲がっている。茶褐色の琵琶の表面には四本の弦が張られ、撥(ばち)で弾くところにはくすんだ茶色の山水画が描かれている。見るからに中国風の絵だった。白い象の上に四人の人物が描かれていた。一人は大人で腰のところで鼓を打ち、二人の少年と思われる人が笛を吹き、もう一人は踊っている。象と四人がいる谷の周囲の木々は紅葉していて、遠くに山々があり、群れをなして飛んでいく鳥たちがいる。

 琵琶の裏面には螺鈿のきれいな花模様が円形に施されている。落ち着いたこげ茶色の木の胴体に薄く加工した貝殻をはめ込み、幾つもの花の形を示している。白い貝片は葉のようでもあり、花のようでもある。白の中の橙色は間違いなく花だが、それは白い花の中にある橙色した花芯のようにも見えた。瑞雲が描かれ、花を咥えた鳥が二羽飛んでいる。螺鈿細工は素晴らしい。貴一はあらためてそう思った。螺鈿細工をされた琵琶や碁盤は正倉院展の最高展示物だ。 ・・・後略・・・

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9月:唐招提寺の讃仏観月会・・・【奈良に誓う】の「第六章 月光」より

・・・前略・・・南大門は開け放たれていた。中秋の名月の時は拝観料がかからないのだ。石段を上り、門の下をくぐる。夜の暗い境内には参道の両側に点々と行灯が置いてあった。二列の置き行灯に導かれてその先に目をやると、金堂の扉が開けられていて、堂内が明るい。その上には横に長い黒々とした屋根があり藍色の空と一線を画していた。真っ直ぐにのびた参道を歩く。両側には木々が生えていて、生垣の手前にはたおやかに垂れている枝がたくさんある。萩である。虫の声が聞こえる。あずさは耳をすました。鈴虫の澄んだ声にこおろぎのジージーという鳴き声が重なって聞こえてくる。貴一も虫の音に耳を傾けた。松虫の鳴き声は聞こえないように思えた。

 二人は金堂の正面に来た。金堂の扉が三か所開けられ、黒い額縁のようになっていて、中には照明が当てられ光り輝く大きな仏像が見える。夜の暗さに慣れてきた目には、金色の光を発する三体の仏像がまぶしい。あずさは光の御堂に圧倒された。直線で区切られた一つずつの額縁の中に、それぞれ一体の仏像が黄金に輝いている。中央に本尊の盧舎那仏坐像、左に数多くの手を持って立つ千手観音、右には、頭部と胴体に丸と楕円のような光背を付けた薬師如来立像である。

「観月讃仏会の時は、お堂の外から仏像を拝んだ方が良いのです」

 貴一の言葉にあずさは頷き、開け放たれた扉の枠の中の仏像をあらためて観る。盧舎那仏の顔、厚い胸、そして光背の無数の小仏が燦然と輝いていた。盧舎那仏は頬や衣の一部に金箔がはげて黒い地色のところもあるが、その黒を吸収してしまったかのように光っている。光背の小仏は二十仏くらいずつが一つのまとまりになり、そのまとまりが何十と盧舎那仏の周りに配されている。盧舎那仏そのものと、この光背が発する輝きは驚くべきものであった。千手観音はたくさんの手に目を奪われる。正面では、胸のところで合掌している大きな手の他に、腹のあたりで指を組み合わせている手があり、側面にはいろいろな物を持った大きな手が何本もある。そしてそれ以外に小さい手が無数にあった。それらの手が観音の周りに円を描くように伸びている。千手観音は胸や手の金箔が落ちて黒い。しかし、その地色さえ黒く輝いている。薬師如来も金箔の多くがはげ落ちている。薬師如来の細長い楕円の光背などはほとんど黒と濃い緑に変色しているが、わずかに残った金の部分とともに輝き、如来の後光を感じさせた。あずさは三体の仏像の輝きが明るいライトのせいでも、金箔のせいでもなく、仏像の体内から発されているように感じた。三体の仏像を拝観していて、そのまばゆさにしばし時を忘れた。

 眼を下へ転じると金堂の基壇に幾つかの行灯が置いてある。行灯は上部がわずかに広くなった四角のもので、上に取手のような細い横木が渡されている。側面には少しだけ模様が入っていて、木の枝と花のようだ。中を覗くと薄紫色の花のついた萩が一枝入れてあった。風情のある演出である。振り返って東南の空を見上げる。黄から白に色が変わった月が輝いていた。月は形が小さくなったが、澄んで明るい。お堂の中で黄金の光を発して燦然と輝く仏像と、無限に広い夜空から白く澄んだ光を照らしてくる月。その素晴らしい組み合わせにあずさは酔った。

 二人は金堂を離れ、木立の中の小道を通って礼堂の方へ向かった。点々とある置き行灯が暗がりに反比例するように明るさを増して揺らめき、足下を照らしていた。何個かに一個の割合で行灯の中に萩の一枝が入っていて、影絵が美しい。虫の声がしきりに聞こえる。数組の人が月明かりに濡れている礼堂の縁側に座っている。貴一とあずさも、その人たちから少し離れて縁側に並んで座った。空を見上げれば木々の上に月があった。二人は黙って月を観ていた。小さな薄い雲が月の前を過ぎようとしたが、月の明るさに圧倒されたのだろうか、雲はわずかの間に消えていった。貴一があずさの方を見る。月に照らされたあずさの横顔が白く透き通るように美しかった。・・・後略・・・

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8月:なら燈花会・・・【奈良に誓う】の「第五章 浮雲園地」より

・・・前略・・・

 宿泊出張用のビジネスバッグに手帳をしまい、代わって葉書を取り出した。七月に送られて来た大和路便りで、葉書の片面は例によって奈良の写真である。写真をまじまじと見る。夜の帳の中に無数の灯りが点されて、川のように連なっている。真ん中はゆったりと湾曲した道で、その両側にたくさんの黄色い灯りが置かれている。一群の灯りの隣には黒い空白地帯があって、その先にはまた幾重にも光の川が流れている。貴一の撮った写真はどれを見ても美しい。行ってみたい、見てみたいと旅心を誘われるのだった。写真の下の説明書きには「なら燈(とう)花会(かえ)……奈良の夜にきらめく光の雲海。八月六日から十五日まで開催」と書いてある。明日の会議は午前十一時からであり、明朝に東京を発てば間に合うものだった。しかし、燈花会を少しでも見てみたかったので、自費で前泊することにした。大阪のビジネスホテルに宿泊予約を入れ、到着は夜遅くなると伝えた。今回は貴一に奈良へ行くとは連絡しなかった。貴一もお客様の世話などでいろいろと忙しいだろうし、幻想的に揺らめく灯りを一人で眺めてみたいと思ったからである。

・・・中略・・・

 あずさは立ち上がり、灯りの海の中から出て、借りたマッチをスタッフに返した。灯りが置いてない草地の道をゆっくり歩きながら、あらためて周りを見る。あちこちでフラッシュがたかれている。小さな子供が点火器でろうそくに火を点けようとしている姿を父親が写真を撮っている。浴衣姿の三人組の女性が仲良く灯りの海の中で写真撮影のポーズをしている。灯りの中で紺地や白地の浴衣が映える。帯の後ろに差し込んだ団扇が見える。夏の夜のきれいなイベントにボーイフレンドに誘われて来た女性がいる。皆嬉しそうだ。夏の夜、こんな素敵な場所に一人で来て間違ったかしらと、少しだけあずさは思った。貴一に連絡すれば見所を案内してくれただろう。でも、奈良の揺らめく灯りを一人で見てみたかったのだから、これで良いのだと思った。

・・・中略・・・

 音に魅せられて演奏している場所へ行こうとした。途中に小川のようなものがあって渡れず、橋のある所まで回らなければならなかった。道沿いに何本かの木々があった。木の下で恋人同士が手をつなぎ何も言わずに一面の灯りを見ている。同じ場所で同じ美しいものを見、心を通わせている。幸せそうな顔だ。あずさは胸苦しくなった。夏のモヤーッとした大気に、ゆらゆらと輝く無数の灯り。日ごろ仕事に熱中しているあずさにしても、この美しさと周りの幸福感は魅惑的だった。逃げ出したいような、身をまかせたいような、そんな二つの気持ちが微妙に行き交った。

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・・・後略・・・

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6月:唐招提寺の開山忌・・・【奈良に誓う】の「第四章 青葉」より

・・・前略・・・

 宸殿の間に入った瞬間、あずさはアッと息を呑んだ。一歩も動けなくなった。五十畳もあろうかという広い畳敷きの部屋の正面右側から左側面に向かって大きな海の絵が描かれている。ドドーッという波の音が聞こえてきたような気がした。多くの参拝者が襖絵の前に置かれた仕切りの黄色い竹のこちら側に座って絵を観ている。一方で、何人もの人が仕切りの竹に沿って列を成し、膝をついて左手へ進んでいる。貴一が右手にある最初の四枚組みの襖絵を前に、少し下がって座った。あずさもそれに倣った。座ると視線が上の方に向かい襖絵が大きく思えた。二人の前を、膝を折った参拝者が中央での焼香のために次々と通っていくが、気になることはなかった。

 人の向こうに雄大な自然があった。四枚の襖には濃い青色の海が全面に描かれ、右手上方から白く大きな波頭が左手方向へと動いて来る。自分の方に波が激しく迫ってくるようだ。強い風の音が絶え間なく、果てしなく聞こえる。左隣の二枚組の襖には、心持左に傾いた岩が海中から突き出ていて、波があたって砕けた後の絵が描かれている。岩からは白い泡になって潮が流れ落ちる。海中に立つ大きな岩の頂には松が一本生えていて、横なぐりの激しい風を受け、常緑の枝をこれ以上曲がらないほど左に傾かせている。しかし飛ばされない。根ががっちり岩を掴んでいる。岩の下では波が砕け落ち、白く幾重にも泡立っている。素晴らしい、凄い迫力とあずさは思った。海に呑み込まれない、海に抗する、そんな情景だった。さらに左手の方を見る。襖がない部分があり、その向こうには平たいが頑丈な岩が描かれ、岩の上から白い海水が幾筋にもなって流れ落ちている。そして波は多少小さくなりながらも岩を越えて左へ左へと進んで行く。柱を中にして襖が直角に左へ折れる。波はその折れた襖にも寄せて行っている。やがて波はさざ波になって砂浜に近づき、静かに寄せては返していた。

 貴一が立ち上がり、あずさと一緒に歩いて襖のない所の前まで行った。そして今度は、できるだけ仕切りの竹に近いところへ行き、あずさを自分の右手すぐ前に座らせた。あずさが座って目を上げると、目の前に本でしか見たことがなかった鑑真和上坐像があった。大きな黒い艶々した厨子の中は、薄い青ねずみ色の垂れ幕が左右に開かれ、適度な薄暗がりとなっていて、和上は盲目の目をつぶって静かに座っていた。高僧がそこに生きて座禅を組んでいるようだ。剃ってある頭が大きい。閉じた大きな両目が落ち窪んでいて痛々しい。頬の線は顎が強く張り、胸元は肋骨が見えて老人の姿だががっちりした体である。衣は時を経た朱のものを着ていて、上に袈裟だろうか、右肩袖をぬいて黒い衣をかけている。膝の前に組んだ指が太い。静かだ。そこに鑑真とあずさの二人だけがいて、何も動かない。時が止まったようだ。やがて和上のゆっくりした呼吸があずさの呼吸になっていく。優しさに包まれた強さが伝わって来た。

・・・中略・・・

 あずさは貴一の後について東室を出た。外は明るかった。立ちくらみをしたような気がしたのは明るさのためではなかった。鑑真和上は十二年もかかって日本へ来たのか。何度も何度も挑戦して日本へ来たのか。船が難破したということと盲目になったということは知っていた。しかしベトナム近くまで漂流して、そこから陸路を盲目の身で上海近くまで帰ってきたとは知らなかった。そしてまた日本渡航に挑戦するとは、なんという精神力だろう。あずさは大きな衝撃を受けていた。不撓(ふとう)不屈(ふくつ)という言葉がある、初志貫徹という言葉も知っている。しかし、鑑真和上ほどこれを実践した人はいないのではないだろうか。自分はその万分の一でも頑張れるだろうかと自問していた。

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5月:唐招提寺の団扇撒き・・・【萬世同薫】の「第一章 千手」より

・・・前略・・・

 講堂の中央から戻って裏手を回り、貴一は東室(ひがしむろ)へ向かった。東室は普段は扉が閉まっていて入れないが、今日は中に入れる。ここで特別招待客に茶が点てられるのだ。畳敷きの細長い部屋に屏風が幾つも立てられていた。くの字形に広げられて立っている屏風には年号と年が表示され、多くのハート形の紙が貼ってある。古代の服装をした女性の絵や牡丹などの花の絵、そして俳句や有名な言葉などの書が見え、それらが過去に揮毫された団扇のものであることが分かる。俳優や歌手、政治家に脚本家、お茶の家元、学者や落語家、それに画家や僧など知った名前が団扇の紙の隅に書いてある。著名人の名前を見つけるのも楽しいが、それよりも貴一は書いてある内容に心惹かれた。「一期一会」、「美しき日々越」、「思無邪」、「風月同天」などが個性的な文字で書かれているかと思うと、きれいな花の絵に「淡如水」と書が添えられているものもある。いろいろな絵や言葉の中で最も心を捉えたのは、「苦難を超えて人は真実に出逢う」という書だった。あの人がこんなことを書いていたのか、どんな人生経験をしたのかと、しばし団扇の文字を見つめていた。

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・・・中略・・・

 一旦マイクを置きかけた僧侶が時計を見たらしく、もう一度マイクを手に持った。

「まだ数分、時間がありますね。折角ですから唐招提寺の教えの話をさせていただきます。唐招提寺の金堂には千手観音立像が安置されています。普通、千手観音像といっても四十二本の手しか持っていません。観音様が胸の前で合掌している二本の手を別にして、他の四十本は一本が二十五本の意味を持っているからです。しかし、唐招提寺の観音様は本当に千本の手があります。もっとも、四十七本が欠けてなくなっていますから、現在は九百五十三本の手です。千手観音の千本の手が何故あるかといいますと、それは私たち衆生を救うためなのです。仏教で千という字は無限を意味します。無限の民を救うための手なのです。

・・・中略・・・

 少しの間があって、ドーンと太鼓の音が鼓楼の方から聞こえた。鼓楼の二階の縁側に、上が白い着物で下が黒い袴姿の僧が数人出て来た。団扇を取って撒き始める。ワーッと喚声が上がる。撒かれた団扇を求めて手が伸び、奪い合う。捕ったと思う瞬間、他の手が何本も同時に伸びてきて、団扇の柄が折れる、扇面の紙が破れる。団扇が撒かれるたびに、何度か同じ光景が続いたが、そのうち誰かがコツを示す。団扇の柄の端を掴んだら、腕を高く上へ伸ばして、他の人の手が届かないようにするのだ。完全に確保された団扇まで奪いに来る人はいない。皆も他の人の物を奪い合っては意味がないことを知り始める。それに次々にたくさんの団扇が撒かれるから、それを捕った方が良いと思うようになる。

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・・・中略・・・

 再び貴一が鼓楼の近くに戻ってきた時は、二階の撒かれる団扇があらかたなくなってきていた。まだ団扇を捕れていない人が大勢いる。疲れと諦めの雰囲気が周りに感じられ始めてきた。撒いていた僧が二階の鼓楼の中に入っていったかと思うと、宝扇をもう一山持ち出してきた。参拝客から大きな歓声が上がる。再び撒かれる団扇に多くの腕が伸びる。これが最後と思うのか、腕が何本も何本も上へ伸び、それぞれの指が無数に広げられ突き出されている。シャッターを押すためにファインダーを覗いていた貴一の唇から言葉が漏れた。

「千手だ……」

 無病息災を願って団扇を捕ろうとする手、幸せを得ようとする手、それは求める手である。しかし、それがいつの間にか貴一には幸せを与える手に思えた。千手観音の手だった。

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・・・後略・・・

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4月:吉野山の桜・・・【奈良に誓う】の「第三章 吉野」より

・・・前略・・・

 奥千本口の空気は冷やっとしていて爽快感がある。ちょっと寒いくらいだ。頭上の桜の蕾はまだ固い。多少膨らんで来たかなという枝もある。桜の木々を見ている間に、一緒にバスに乗って来た他の多くの人たちは、既に山を下って行って視界から消えた。一部の人は逆に山を登って奥千本へ向かって行った。貴一、あずさ、加奈、の三人は爽やかな空気を胸いっぱい吸って、麓に向かってゆっくり歩き出した。早春を感じながら歩く。貴一はナップザックを背負い、あずさと加奈はショルダーバッグを肩から斜めに掛けている。両手が空いているのも気分良い。道の両側は山の木々である。山を下っていくに連れ、沿道のところどころにある桜の蕾がふくらみ、いくつかの花が開きかかっている。やがて、一分咲き、二分咲き、三分咲き、そんな変化が見て取れるようになった。体も寒い感じがなくなってきた。

・・・中略・・・

 歩き続けて、ついに満開になっている桜の場所に着いた。目の前、頭上、ぐるりと周りを見渡す。すべてが満開の桜である。咲いてない桜はなく、散っていく桜もない。桜の花びらの一枚いちまいが薄い茶色の葉と細かく混ざって全面に広がり、ヨーロッパの点描画のようである。

「すごい」

 感極まったようにあずさが声を上げて立ち止まる。加奈も同じだ。

「ここの辺りが上千本から中千本に変わっていくところです」

 多くの人が満開の木の下や空地で花見の宴をしている。みんなこの上なく楽しそうだ。十数人のあるグループは、全員が横一線になって向こうの山の桜を見ながら花見の弁当を食べている。その人たちの嬉しさが、ずらり並んだ後ろ姿から伝わってくる。登山用 のコンロでお湯を沸かしている家族連れがいる。シートを広げて缶ビールやお酒を飲んでいる団体がいる。そんな人たちを左右に見ながら三人は満開の桜の下を歩き、山道を下って行く。

・・・中略・・・

 蔵王堂から出て右手の階段を下りた。満開の桜の大きな木があって、ちょっとした広場になっている。花びらがちらちら、ひらひらひらと翻りながら散っている。貴一はそこへ行く。二人もついて行く。満開の桜の木を見上げる。白く小さな花びらが二つ、一つ、三つと舞って来て地面に下りていく。

 軽く風が吹いた。その瞬間、無数の花びらが一斉に樹から解き放たれ、宙に舞い、散って来た。あずさと加奈の顔がたくさんの花びらの中に見える。美しさに驚き、美しさに触れて幸せを感じている顔だ。

 ひとときの花の舞いが過ぎた後に、目を細め微笑して至福の時を実感しているあずさの顔があった。貴一は瞬間的にカメラを向けシャッターを切った。立て続けに二度目のシャッターを押そうとした時、再び風が吹き、花びらが舞った。花びらの舞の向こうにカメラを意識したあずさの美しい笑顔があった。自然にシャッターが切られた。

 次に加奈へレンズを向ける。加奈も嬉しそうだ。シャッターを押した。あずさと加奈の二人一緒の写真も桜の中で撮った。風が止まり、桜の花びらの舞いも一段落した。貴一はそろそろこの小さな広場から立ち去ろうとした。

 その時あずさが、

「もう少しだけ、このままここに居させて下さい」

 貴一は微笑んで頷き、桜に見とれているあずさを見ていた。また風が吹いた。桜の花びらが滝のように降ってくる。あずさは再び至福の時を感じた。もう少しこの素晴らしい時間を味わっていたかった。仕事に追われる日々、このような安らぎの時は久しく持てなかった。目を閉じると桜の香りが感じられ、閉じている目に花びらのたくさん舞い散っている光景が映る。目を開ければ気持ちよく晴れ渡った青空があり、くっきりとした山並みが見えた。

・・・後略・・・

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1月:若草山焼き・・・【奈良に誓う】の「第二章 若草山」より

・・・前略・・・

 一月の奈良は、夜になるとグッと冷え込んで来る。お客様を案内する必要がなくなって、大池へ迎えに行くまで空白の時間が出来た。見慣れた山焼きだが、折角だから近くで見ようかと、貴一も若草山の前に立った。さっきは白っぽく見えた枯れ草の山が、今は黒く夜の色になっていた。道路には多くの観光客が次々とやってくる。山焼きの場所につめかける人は皆、コートや厚いジャンパーを着て、手袋をしている。マフラーで首や顔をすっぽり包んでいる人もいた。黒い山の中にチラッ、チラッと懐中電灯の黄みを帯びた白い光が動く。山焼きの関係者がいろいろな準備をしているのだろう。寒い。足下から冷えて来る。小さく足踏みしている人もいる。点火はまだかな、と皆が山を見つめている。風で微妙に揺れて動く赤い光は松明の火だ。松明がいくつかあるように見える。間もなく点火されるだろう。

 ドン、ドン、ドン、と急に大きな音がした。直後、真上と思うほどの空に大きな花が咲いた。花火だ。また続いてドン、ドン、ドン、ドン、ドンと音がして大空いっぱいに花が開く。間近で仰ぎ見る冬の花火は果てしなく大きく、美しい。そして淋しい。冷たく澄んだ空気の中で花は輝き、一瞬に消えていく。花火がまた上がった。次々と花開いていく。以前に比べ、花火の数が増えている。

「火が点けられたぞ」

 誰かが叫んだ。

「どこ、どこ」

「あそこ、あそこ」

「本当だ。見える、見える」

「火が二つになった」

「三つになったぞ」

「燃えていく、燃えていく」

 黒い山の中に赤い火が点き、何個所かの点になり、次第にその点が繋がり出した。一本の赤い線が見えたと思う間もなく、線は複数になった。線は時間とともに太くなり長くなり、隣の線と結びついていく。枯れ草が燃えていく。初めのうち弱かった火が隣の火と一つになることで勢いを増していく。火は線から面になっていった。ぼうぼうと燃える。広い山の斜面を次第に火が燃え移って行く。若草山が火の海となっていく。貴一は槇野あずさのことを思い出していた。彼女にもこの若草山山焼きを見せてあげたかったなと思いつつ、紅蓮の炎を群衆の中で独り見ていた。

・・・後略・・・

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