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2025年12月30日 (火)

「仏教の一端を学び、考える」シリーズ 第14回:「英語圏最良の仏教概説書」を読んでみた(2)

・この本の「分かりづらい事柄」
 前回は「英語圏最良の仏教概説書」というキャッチ・コピーの本『ブッダが説いたこと』に書いてある「良いこと」について述べました。今回はこの本の「分かりづらい事柄」について述べます。

・著者の論述姿勢がもたらす「分かりづらさ」
 
①著者のラーフラ師は「まえがき」で「私は本書で、ブッダの教えの中で中心的、基本的とされるものをすべて論じた。それらは、四聖諦(ししょうたい)、八正道(はっしょうどう)、五集合要素、カルマ、再生、『条件付けられた生起』、無我、正しい気付きである」と書いていますが、それぞれの事項について分かり易い説明がなされていません。

 ②続いてラーフラ師は「読者にはできるなら、まず第一章から始めて、次に第五、七、八章と進み、それから第二、三、四章そして第六章へと読み進めていただきたい。そうすれば、全体の意味がより明確で、生き生きしたものとなるであろう」と書いていますが、これは納得がいきません。全体の意味が読者に分かりやすいように著者が順序立てて書くべきだと私は思います。その順序がブッダの思想構成と異なるなら、その点を補足説明すれば良いと考えます。

 ③また、ラーフラ師は「本書のタイトルを『ブッダが説いたこと』とした以上、ブッダが用いた比喩(ひゆ)、表現、繰り返しも含めて、ブッダ自身のことばをそのまま記すべきだと考えた」とのことですが、私は『ブッダが説いたこと』の本質を伝えるのが大切と考えます。仏教経典はインドの種々の人々が理解し易いよう比喩や繰り返しを多用していますが、インド以外ではもっとスッキリした形で説明した方が分かり易いと思います。

・訳者の翻訳姿勢がもたらす「分かりづらさ」
 ①訳者の今枝由郎氏は本『ブッダの説いたこと』を日本語訳するにあたって、日本人に馴染みの深い漢訳の仏教用語をあまり使わず、古代インドのパーリ原語をカタカナ表記して使っています。これは著者であるラーフラ師が、「仏教固有の用語に対して適切な英語が見つからない場合、原語を残して、それを説明するようにしている」ので、訳者もその方針に倣(なら)ったとのことです。
 私はこれを読んで、仏教に馴染みの薄い英語圏ではもっともな著者の判断ですが、漢訳仏教用語が広まっている日本では訳者の判断は適切でないと思いました。漢訳仏教用語を用いて翻訳し、意味説明が不足の場合や日本で言葉が誤解されている場合などは、そこを丁寧に補足説明した方が読者に理解してもらい易いと考えます。多少なりと仏教関係の本を読んだ日本人なら、「五集合要素」より五蘊(ごうん)が、「カルマ」より業(ごう)が、「条件付けられた生起」より縁起が、「マハーヤーナ仏教」より大乗仏教の方が耳慣れていて本をスムーズに読むことが出来ると私は思うのです。

・次回は、この本の説明が「理解できない事柄」を取り上げる予定
 ここまで著者の論述姿勢と訳者の翻訳姿勢によって、本の内容が分かりづらくなっていることを述べてきました。次回の『第15回:「英語圏最良の仏教概説書」を読んでみた(3)』では、この本の説明が「理解できない事柄」を取り上げる予定です。

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