奈良豆比古神社の翁舞
奈良豆比古神社
奈良豆比古神社(ならずひこじんじゃ)は奈良市街地の北端の奈良阪町にあります。奈良阪町は京都府との府県境に接していて、昔から奈良と京都を結ぶ街道が通っているところです。神社の前には「右 京うち道、左 かすが大ふつ道」(右 京宇治道、左 春日大仏道)と彫られた石の道標が立てられています。
奈良豆比古神社の祭神は3柱なのですが、そのうちの1柱は、万葉集の有名な歌「石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも」の作者である志貴皇子(しきのみこ)です。なお、志貴皇子は天智天皇の皇子です。
奈良豆比古神社の翁舞
奈良豆比古神社(ならずひこじんじゃ)では秋の例祭の宵宮(10月8日夜)に奈良阪町の人たちによって拝殿で翁舞が行われます。翁舞は能の原典とも言われるもので、見応えがあります。
篝火(かがりび)が焚かれ、笛や鼓の音そして謡の声と共に、きらびやかな衣装を着て古色蒼然とした面を着けた翁が舞います。
神社で行われる奉納舞は神様に対して踊るものですから、舞を真正面から観られるのは本殿の神様です。そのため一般の参拝客である私は、翁舞のとても良いアングルの写真を撮れませんでした。翁が3人並んで踊っているのを撮りたかったのですが叶いませんでした。
梅原猛著『うつぼ舟Ⅰ 翁と河勝』
翁が3人並んで踊っている写真を掲載し、奈良豆比古神社の翁舞について詳しく書いている本があります。梅原猛著の『うつぼ舟Ⅰ 翁と河勝』です。河勝とは聖徳太子の忠臣である秦河勝(はたのかわかつ)のことで、能楽の元の猿楽の祖と言われています。
この本は種々の面から能について述べているものですが、今回は梅原氏が書いている「奈良豆比古神社の翁舞」のことにのみ触れます。
「奈良豆比古神社は京都と奈良の境の「奈良坂(ならざか)」にある。このような境の地は、(中略)神聖な場所であり、そこには多くの神が祀られている。」
「大和と京の“境”にあるこの“場”で、翁舞が舞われたことは、この境界の地で悪魔祓いをしていたことを意味する。」
奈良豆比古神社の翁舞には白い翁の面を着けた3人が登場するのですが、「社伝」によると昔は2人が白い翁面、1人が黒い翁面を着けて舞ったのだろう、と梅原氏は述べています。そして翁舞の後半に狂言方(きょうげんがた)によって舞われる三番叟(さんばそう)は現在も黒い面を着けています。
「翁舞は確かに世阿弥の言うように『国穏やかに、民静かに、寿命長遠』の舞なのである。しかしその舞い手の中には深い哀しみ即ち黒い運命の人が存在しているのである。」
梅原氏は、志貴皇子の子の春日王が業病に罹って奈良坂に蟄居したと言われていることを紹介し、そこに奈良時代から平安時代へ移行する時の政変と、幽閉され死んだ人のタタリを感じ取っているようでした。
そして翁舞は、世の中を恨んでいる黒い翁、つまり三番叟が神仏具の鈴を受け取り、神仏の信者になって、五穀豊穣、千秋万歳を祝うのです。梅原氏は次のように書いています。
「奈良豆比古神社の翁舞は、秩序を破壊する、世を恨む黒い翁、即ち怨霊(おんりょう)神が国家安泰を祈って、初めて国家は安泰になるということを物語っているのである。」
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