法輪寺の三重塔
斑鳩三塔
斑鳩三塔とは、奈良県生駒郡斑鳩町にある法隆寺の五重塔、法輪寺の三重塔、法起寺の三重塔の三つの塔の総称です。法隆寺と法起寺の塔は飛鳥時代のものであり、法輪寺の塔は昭和時代に再建されたものです。
現在は斑鳩町も住宅が建て込んできて、この三塔を一つの場所で見ることはなかなか難しくなっています。しかし、中宮寺が元あった場所、今は「史跡・中宮寺跡」となっていますが、ここの一角には三塔を動かずに見れるところがあります。三塔が建っている方向を矢印で表示する図が置いてあるので、それを参考にして三塔を見ると良いでしょう。家と家の間や、木と木の間の遠くに見えます。
落雷で焼失
法輪寺の古代に建てられた三重塔は1944年(昭和19年)に落雷で全焼崩壊しました。この塔は国宝であったのですが、避雷針が付いていなかったのです。
戦時中で金属が不足していたため、避雷針取り付けを申請しても許可されなかったという説明と、金属回収令によって避雷針が取り外されて拠出されたという説明の二つを聞いたことがありますが、事実はどちらだったのでしょう。以前、私は後者を事実と思っていたのですが、最近は前者が正しいのかもしれないと思うようになりました。
法輪寺三重塔の再建
法輪寺の焼失した三重塔は、親子二代にわたる住職の熱意と勧進によって再建が開始され、1975年(昭和50年)に完成します。しかし、再建の途中では資材高騰などのために資金不足になり、工事が停滞しました。
法輪寺の塔の再建に関しては、設計学者と宮大工職人による鉄材使用の是非をめぐる論争、随筆家・小説家である幸田文の再建支援活動、宮大工親子のライバル意識など、話題豊富です。
そんな中で今回私が取り上げたいのは、幸田文の塔再建支援と宮大工親子の気持ちについてです。
幸田文は名作『五重塔』を書いた幸田露伴の娘で、父の著作権を引き継いだこともあって「塔」とは深い繋がりを感じていました。法輪寺の塔の再建話を耳にして、それの資金集めに協力しようとします。斑鳩に約一年下宿住まいをして、再建工事を手伝ったり工事の進捗状況を記録したりしています。
法輪寺の三重塔の再建に関係した宮大工として名前が出てくるのは、有名な西岡常一の他に西岡楢光、西岡楢二郎、小川三夫です。楢光は常一の父、楢二郎は常一の弟、小川は常一の唯一の内弟子です。ただ私は、ここにもう一人付け加えたい人がいます。それは常一の祖父の西岡常吉です。
楢光は宮大工の棟梁である西岡常吉の娘婿で、結婚前は農業をしていました。常吉は、娘と楢光の子である孫の常一を立派な宮大工棟梁にしようと直接指導、言い換えれば英才教育をします。自分を飛ばされた婿の楢光の気持ちはどんなだったでしょう。想像すると胸が痛みます。
法輪寺の三重塔の再建話が出たとき、八十三歳の西岡楢光は自分が棟梁となって塔を建てる積りでしたが、法輪寺住職から働き盛りである息子の西岡常一を棟梁にと言われ、しぶしぶ承諾したとのことです。
幸田文と小川三夫の本
幸田文は法輪寺の三重塔についていくつかの随筆を書いています。特に印象に残っていますのは、幸田文全集第19巻の随筆「法輪寺の塔」にあった①の文章と、随筆「胸の中の古い種」にあった②の文章の二つです。
①「ながく塔の縁を私はうけてきたのだから、法輪寺の建立途中の塔へは、なにか、どうか、お手伝いしなければ気がすまないのである。」
②「(前略)思い立ったのは、その時だったろうか。この材をこのまま、横にしておいてはいけない。縦に立てて、組みあげていかなければ、あったら発願も、工人も、材も、そしてすでに出来上がっている相輪も、むなしいではないか、と。自分の年齢のこと、できそうもない仕事だということ、そんなことはみな押し返して、試みるまでだ、とそう思った。頓挫したのなら、起すよりほか、することはない筈だ、と思った。建てなければ、塔ではない。」
小川三夫には『木のいのち 木のこころ(地)』という本があります。小川三夫が自分の経験や思いを語り、塩野米松が聞き書きをしたものです。この本には西岡楢光と西岡常一親子の職人ライバル意識が書かれていますが、根底に親子の感情のズレがあったのではないかと私は思います。
「その車には棟梁(常一のこと。筆者注)とおじいさん(楢光のこと。同)と俺(小川三夫のこと。同)が乗っていた。病が重かったから寝台車だった。法輪寺の前に来たんで車を止めて、
『おじいさん、法輪寺の塔ができたで、素屋根もはずれた』
と俺がいったんだ。そうして窓から見えるように体を起こしてやった。
『見えたか、見えたか』
って棟梁が聞いたら、
『見たっ』
っていうんだ。しかしよ、俺がおじいさんの顔を見たら、目をぎゅっとつぶっているんだ。だから見ているわけがないんだよ。それで、
『もういいから行け』
っていうんだ。この一週間後に、おじいさんは亡くなった。職人ってのは死ぬまでこうだもんな。」
| 固定リンク































