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2025年3月

2025年3月28日 (金)

大神神社と狭井神社(1)

大神神社
 大神(おおみわ)神社は三輪明神とも呼ばれ、日本で最古の神社と言われています。祭神は国造りの神様であり、種々の産業を発展させると信じられています。なかでも製薬業や酒造業には厚く敬われています。
 三輪山がご神体であるため、拝殿はあっても本殿はありません。拝殿の前で二礼二拍手一礼をして、つぶっていた目を開けると、拝殿の片隅に設置されている説明版が目に入ってきました。そこにはこんな文字が書いてありました。

「鎮魂詞(いのりのことば)
 幸魂(さきみたま) 奇魂(くしみたま)
 守給(まもりたま)へ 幸給(さきはへたま)へ
  三輪の神様には ご祈念のあと
  右のいのりの詞を 三回お唱え下さい」

 この言葉を読んで、私はドキッとしました。祈りの言葉の本質のように感じたからです。幸魂(さきみたま)は「人に幸せを与える神霊であり、収穫をもたらす」と言われています。また、奇魂(くしみたま)は「不可思議な力によって人に幸せを与える神霊」とのことです。このことから私は、幸魂(さきみたま)は努力して幸せになること、奇魂(くしみたま)は不可思議な力によって幸せになること、と理解できると思ったのです。
 いろいろなことに努力して、願いが成就し、幸せになることを人々は望みます。また、努力ではどうにもならない場合、神様に不可思議な力で実現してもらい、幸せになれるよう人々は願います。それが宗教の祈りの言葉ではないかと考えさせられました。

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大神神社

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鎮魂詞

三島由紀夫著『奔馬』
 三島由紀夫の絶筆となった本『豊饒の海』。その第2巻の『奔馬』に大神神社が出てきます。大神神社の紹介文章として素晴らしいものです。また、三島由紀夫の神道への思いも垣間見れるものです。

「官幣大社大神神社は、俗に三輪明神と呼ばれ、三輪山自体を御神体としている。三輪山は又単に『お山』と称する。海抜四百六十七メートル、周囲約四里、全山に生い茂る杉、檜(ひのき)、赤松、椎(しい)などの、一木たりとも生木は伐(か)られず、不浄は一切入るをゆるされない。この大和国一の宮は、日本最古の神社であり、最古の信仰の形を伝えていると考えられ、古神道に思いを致す者が一度は必ず詣でなければならぬお社である。」

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三島由紀夫著『奔馬』

 

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2025年3月21日 (金)

東大寺本坊の襖絵

あまり知られていない東大寺本坊の襖絵
 薬師寺・大唐西域壁画殿の平山郁夫画伯の壁画や唐招提寺・御影堂の東山魁夷画伯の襖絵は有名ですが、東大寺・本坊にも素晴らしい襖絵があることはあまり知られていません。
 東大寺の本坊は南大門をくぐってすぐ右手にあり、例年四月上旬(不定期)に小泉淳作画伯の描いた襖絵が一般公開されます。公開日はこれまでの実績から推測しますと、桜の咲いている時の金曜から日曜の三日間のようです。

襖絵の内容
 本坊には東大寺に大変関係の深い聖武天皇と光明皇后の肖像画が展示されています。そして襖には鳳凰、散華、飛天、桜、蓮の絵が描かれています。圧巻は桜の絵と蓮の絵です。

桜の絵
 桜の絵は三つあって、まず『東大寺本坊の桜』(幅が若干狭い襖四面)、次に『しだれ桜』(襖四面)、そして『吉野の桜』(幅広の襖四面)です。それぞれの絵には桜の無数の花弁が一つずつ丹念に描かれています。

『しだれ桜』は奈良県宇陀市の「又兵衛桜」をモデルに描いたとのことで、私も以前に観に行った「又兵衛桜」のことを思い出しました。大きな枝垂桜で、ものすごい量の花でした。それが今、眼前に絵となって示されています。一枚一枚の花弁が連なって桜の樹の全体を形作っています。
 東大寺の所依の経典は華厳経です。華厳経には「一即多、多即一」という考えがあるとかつて聞きました。丹念に描かれた桜の絵を観ていて、次のように感じました。「一枚一枚の花弁の中に桜の全体があり、桜の全体の中に一枚一枚の花弁がある」
 それぞれのものが全体を表しているとしたら、一つ一つをないがしろにはできないなと思いました。また、全体の中にそれぞれがあるということは、一つ一つが埋没せず個性を発揮し協調融合していることを言っているのかなと思いました。

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宇陀の「又兵衛桜」

蓮の絵
 蓮の絵は『蓮池』と題された1つのもので、本坊大広間の16面にもおよぶ襖に、白や紅の蓮の花が黒緑色の沢山の葉と共に描かれています。池は描かれていません。それなのに何故『蓮池』という題がついているのだろうかと思いました。
 襖絵を拝観した後、本坊の庭に降りてみました。庭には池があり、池越しに本坊が見えます。この時は四月であり、本坊の濡れ縁には拝観者が列をなしていたこともあって私は気が付かなかったのですが、この池は蓮の咲く池でした。
 後日、図録『小泉淳作展』を開いてみたら、蓮の葉が茂り蕾も見える実際の池と、本坊大広間の蓮の襖絵が一体になって撮られた写真が載っていたのです。そこで華厳経の世界観を学びました。

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本坊の庭

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本坊大広間の濡れ縁と庭の池

図録『小泉淳作展』
 図録には小泉淳作展が行われた当時の東大寺別当・北河原公敬師の文章がありました。

「香水海(こうずいかい)に浮かぶ巨大な蓮華の上に大地があり、その大地の中にまた香水海があり、そこからまた大きな蓮華が生じてその上に無数の世界、無数の仏国土が存在する」

 また、小泉淳作画伯と世田谷美術館長の酒井忠康氏の対談が掲載されていました。

小泉 桜の花びらを描くのは、賽の河原で石を積んでいるようなものでしたよ。桜の花びらは、一日でほんの少ししか描けない。一人で描くのは本当に大変でした。
酒井 中世の庶民信仰の中に、“多数作善”という考え方があるそうなんですが、つまり、ひとつひとつ積み重ねたものがたくさん固まってくると、大きな功徳になるという考え方なんですね。」

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酒井忠康 監修 『小泉淳作展』図録

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2025年3月14日 (金)

旅館大黒屋跡と法起寺

高浜虚子の小説『斑鳩物語』
 正岡子規と同郷で松山出身の俳人・高浜虚子には『斑鳩物語』という短編小説があります。

「法隆寺の夢殿の南門の前に宿屋が三軒ほど固まつてある。其の中の一軒の大黒屋といふうちに車屋は梶棒を下ろした。急がしげに奥から走つて出たのは十七八の娘である。」

 という冒頭の文章が私の心に強く残り、いつか旅館・大黒屋へ行ってみたいと思うようになりました。

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高浜虚子著『斑鳩物語』

旅館・大黒屋
 先日、時間が出来たので夢殿の南門の前へ行ってみたら、「旅館大黒屋」と書かれた三角柱の看板標識が民家の前にあるだけで、旅館は営業しているようには見えません。隣の空き地は中宮寺・法隆寺・夢殿へ行くための「観光有料駐車場」となっていて、所有者としては「大黒屋」と表示されています。
 高浜虚子が斑鳩に来た時から約120年経っていますから、変化もやむを得ないのでしょう。虚子の時代の雰囲気には浸れませんでしたが、逆に時代の変化をじわりと感じました。

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旅館大黒屋跡

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観光駐車場・大黒屋

法起寺
『斑鳩物語』の主人公とも言うべき「余」は翌日、役所から命じられた仕事をするために法起寺へ行き、仕事が終わった後に法起寺の三重塔に登らせてもらいます。三重塔は法起寺で唯一の創建時からの建物です。
「余」は苦労して登った塔の上から、塔の下の菜の花畑を見ます。

 「宿屋の二階で見た菜の花畑はすぐ此塔の下までも続いて居る。梨子(なし)の棚もとび/\にある。麗(うらら)かな春の日が一面に其上に当つて居る。今我等の登つてゐる塔の影は塔に近い一反ばかりの菜の花の上に落ちて居る。
『又来くさつたな。又二人で泣いてるな』
と小僧サンは独り言をいふ。見ると其塔の影の中に一人の僧と一人の娘とが倚り添ふやうにして立話しをして居る。女は僧の肩に凭れて泣いて居る。二人の半身は菜の花にかくれて居る。」

 この菜の花畑の男女の姿と、「余」が塔の上からそれを見ているシーンがとても印象的でした。泣いている女は、昨日大黒屋の奥から走って出てきたあの娘なのです。

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法起寺の三重塔

機(はた)の音
 その夜、食事を終えた「余」は衣を織る機(はた)の音をしみじみと聞きます。旅の夜の情感が『斑鳩物語』に溢れています。
 斑鳩で聞く機(はた)の音・・・。何か関連したものがあったなと記憶を辿って、本棚から会津八一の『自註鹿鳴集』を取り出しました。そこには秋の歌が詠まれていました。

「法隆寺村にやどりて
いかるが の さと の をとめ は よもすがら
きぬはた おれり あき ちかみ かも」

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会津八一著『自註鹿鳴集』

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2025年3月 7日 (金)

吉野の桜

咲き始め、満開、花吹雪を一日で楽しむ
 吉野山の桜は山の麓の「下千本」から開花し、順次、「中千本」、「上千本」、「奥千本」と山の頂の方に向かって咲いて行きます。そのため、大分遅れて咲く奥千本はひとまず除いて、上千本から下千本へ山道を歩いて降りてくると、桜の咲き始め、満開、花吹雪を一日で楽しむことが出来ます。

花矢倉からの眺め
 山道を下ってくると途中に花矢倉という場所があって、そこの展望台からは吉野の桜がずーっと続いて咲いているのが見えます。蔵王堂の大きな建物も下方に見え、遠くの山並みや街も眺められます。吉野というと、ほとんどここからの写真が使われるほど代表的な展望です。

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花矢倉展望台からの眺め

一目千本の桜と吉水神社
 桜が満開の中千本はとても綺麗です。桜の下の道を曲がりくねりながら歩いて行くのは楽しいです。
 そして中千本地域にある吉水神社の前から向こうの山の斜面を見ると、桜と桜が重なって山の斜面のほとんどが厚みを持った薄桃色です。ここの眺めは「一目千本」と言われています。
 吉水神社は明治の初めまで吉水院と呼ばれ、源義経、後醍醐天皇、豊臣秀吉という歴史上の人物が三人も関係した場所です。特に建武の中興後、北朝に追われた後醍醐天皇が住んでいたことで有名であり、いつの日か京の都に復帰することを願いつつ、願いかなわず、この地で後醍醐天皇は崩御しました。吉水神社では後醍醐天皇が住んでいた玉座の間を見ることができます。

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満開の中千本の桜

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一目千本の桜

蔵王堂下から吉野ケーブル千本口駅で花吹雪
 蔵王堂を出て右手の階段を下りていき、下千本の吉野ケーブル千本口駅へ向かいます。この辺りでは少しの風で花びらが舞い、時に花吹雪となって得も言われぬ情景に出会えます。

本『迦陵頻伽 奈良に誓う』
 吉野の桜の情景を描いた本として、拙著の『迦陵頻伽(かりょうびんが) 奈良に誓う』を紹介いたします。なおこの本は、奈良・西ノ京の旅館の跡取り息子の貴一が、東京で陶器店の店長をしているあずさと知り合い、愛を育んでいく小説です。吉野へは桜の季節にあずさとその友人の加奈の二人を貴一が案内していきます。

「奥千本口の空気は冷やッとしていて爽快感がある。ちょっと寒いくらいだ。頭上の桜の蕾はまだ固い。多少膨らんで来たかなという枝もある。桜の木々を見ている間に、一緒にバスに乗って来た他の多くの人たちは、既に山を下って行って視界から消えた。一部の人は逆に山を登って奥千本へ向かって行った。貴一、あずさ、加奈、の三人は爽やかな空気を胸いっぱい吸って、麓に向かってゆっくり歩き出した。」

「歩き続けて、ついに満開になっている桜の場所に着いた。目の前、頭上、ぐるりと周りを見渡す。すべてが満開の桜である。咲いてない桜はなく、散っていく桜もない。桜の花びらの一枚いちまいが薄い茶色の葉と細かく混ざって全面に広がり、ヨーロッパの点描画のようである。」

 「軽く風が吹いた。その瞬間、無数の花びらが一斉に樹から解き放たれ、宙に舞い、散ってきた。あずさと加奈の顔がたくさんの花びらの中に見える。美しさに驚き、美しさに触れて幸せを感じている顔だ。(中略)
『もう少しだけ、このままここに居させて下さい』
 貴一は微笑んで頷き、桜に見とれているあずさを見ていた。また風が吹いた。桜の花びらが滝のように降ってくる。あずさは再び至福の時を感じた。もう少しこの素晴らしい時間を味わっていたかった。仕事に追われる日々、この様な安らぎの時は久しく持てなかった。目を閉じると桜の香りが感じられ、閉じている目に花びらのたくさん舞い散っている光景が映る。目を開ければ気持ちよく晴れ渡った青空があり、くっきりとした山並みが見えた。」

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鏡 清澄 著『迦陵頻伽 奈良に誓う』

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