壷阪寺・・・桜大仏、社会福祉への貢献
壷阪寺
壷阪寺は明日香村の南、高取町にある寺です。かつては人形浄瑠璃の『壺坂霊験記』で有名だった寺ですが、近年は奈良の隠れた桜の名所として人気を集めています。
見どころが多い寺です。主なものを挙げると次の通りです。
・盲目の夫を支える夫婦愛の物語『壺坂霊験記』に基づく、「お里沢市の像」
・眼の佛として信仰を集めている「本尊十一面千手観音菩薩像」
・雛祭りの頃に4000体以上もの雛人形を集めて公開する大雛曼荼羅
・「釈迦一代記」の大きなレリーフ
・巨大石仏の大釈迦如来石像、大観音石像、大涅槃石像
桜大仏
壷阪寺の境内は桜の樹が多く、春は大釈迦如来石像が桜に囲まれます。桜の淡いピンクの花の中に大釈迦如来石像の慈しみ溢れる顔を拝観すると、これが「桜大仏」と呼ばれ親しまれているのが分かるような気がします。心が温かくなってくるのです。寺全体の雰囲気も春の陽気に包まれているように感じます。
社会福祉への貢献
壷阪寺は昔から眼病に霊験あらたかな寺と言われていたためと思われますが、盲目の人に対する社会福祉の取り組みに尽力してきました。日本最初の養護盲老人ホーム「慈母園」を寺の境内に設立しましたし、インド他でのハンセン病患者の救済などをしてきました。
ハンセン病への関与は、目の不自由なハンセン病の患者たちが点字を読んでいる様子を寺の先代の住職である故・常盤勝憲(ときわしょうけん)長老が目撃したことからです。
本『思いやりの心 広く深く』
故・常盤勝憲長老が仏教について説いたり、養護盲老人ホーム設立に取り組んだりしたことなど、折に触れて書いていた文章を、後でまとめた本があります。『思いやりの心 広く深く』です。特に印象に残った部分を以下に引用掲載いたします。
“先生は私を目の不自由な人たちが集まっている寮へ案内されました。『壺坂霊験記』の関係から第一にと考えられたのかもしれません。ハンセン病は末梢神経がマヒし、指先の感覚はまったくなくなります。(中略)点字本が広く読まれていましたが、ハンセン病の患者たちは舌で読むのです。血をにじませながらむさぼるように読んでいる姿を知りました。”
また、本の「あとがき」に、故・常盤勝憲長老のご子息の常盤勝範(ときわしょうはん)師が以下の一文を書いています。
“大観音石像の彫刻においても、機械を全く使わず、延べ七万のインドの人の手によって彫刻された。全く機械を使わない父の方針は、できるだけ多くの人々に仕事をしていただく人的資源の最大活用であると思う。”
| 固定リンク



























