雪の石舞台古墳と橘寺
雪の石舞台古墳
明日香村島庄(しましょう)にある石舞台古墳は巨石がむき出しになった日本最大級の古墳で、被葬者は蘇我物部の戦いで有名な蘇我馬子という説が有力です。この古墳を横から眺めると、私には巨石が大きな頭部と胴体に見え、人が横たわっているように感じられます。
雪の降った日に石舞台古墳へ行きました。古墳の周囲の地面は雪で真っ白です。黒々とした巨石の上も雪がうっすらとありました。垂れこめていた分厚い雲に切れ目が出来、日の光が射してきます。古墳の上の雪が少しずつ融けて石が濡れていきました。雪の石舞台古墳と雲の切れ目から射してくる明るい光を見ていて、私はそこに日本の始まり、黎明期を感じました。
雪の橘寺
石舞台古墳を見た後、明日香村橘にある橘寺へ行きました。北側の道路から橘寺を眺めると、寺の白い土塀が横一線に走り、周囲の雪景色と一体になって空気がピンと張りつめた感じがしました。
橘寺は聖徳太子の父・用明天皇の別宮を後で尼寺にしたようですが、太子が黒駒に乗って斑鳩と飛鳥の橘寺の間を行き来したことや、仏教の勝鬘経をこの地で講義していることを考えると、橘寺は太子の飛鳥における宮(生活拠点)だったように私には思えます。
橘寺の冬の朝が描かれている本
橘寺の冬の朝が描かれている本に、朝皇龍古(あさみりゅうこ)著の『飛鳥から遥かなる未来のために(朱雀・後編)』があります。その第五章「母達の思い」に次のような文章が載っています。
“上宮(筆者注。聖徳太子のこと)は幼い頃から身が引き締まる冬の朝がとても好きだった。今日もそんな空気に触れて身を引き締めたいと、寒さを堪えて外へ出てみた。橘の宮は少し高台にあって、建設中の飛鳥寺や、新都の建設の状況がよく見えるのだ。
「この様な朝の早くに、寒い中何をしているのですか」
いつも上宮が立って飛鳥の様子を見下ろす場所の近くに、菟道貝蛸皇女(うじのかいだこのひめみこ)が一人で立っていた。
(中略)
「今朝はこの冬一番の寒さでした。身体が冷え切ってしまいます。さあもう館の中へ入りましょう」
上宮がそう言い終わらぬ内に、貝蛸皇女は上宮の腕の中に倒れ込んだ。
「瑠璃っ。しっかり」”
冬の朝、正妃の菟道貝蛸皇女(うじのかいだこのひめみこ。呼び名は瑠璃)は流産してしまうのです。跡継ぎを産めない正妃のつらさ、その正妃を慰め励ます上宮。国づくりも家づくりも簡単にはいかず、厳しい状況の中、夫婦で支え合いながら生きて行く姿に心打たれました。
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