●老人の曖昧さについて
・人間の幼児期のイキイキさ、青年期のはつらつさ、壮年期の真剣さに比べて、老年期は曖昧さが感じられると、私は第27回の記事で述べました。
・老人の曖昧さは、思いのほか延びた平均寿命のために感じることが大きくなったように、私には思われます。
・医療の進歩などによって人間の平均寿命が延びましたが、もともと、生きて働いて暮らして来るうちに身体は老化し、あちこちに不具合が出て来、やがて死んでいくものでした。そういうものだと理解すれば良いのだと思います。
・釈迦は煩悩が悪さをして、人生に苦をもたらし、病死に至ると考えました。そして自己に対する執著(しゅうぢゃく)心などの煩悩をなくすことで、古代インドで広まっていた輪廻の苦しみから解放されようと説きました。これは古代インドという時代と地域で考えられた苦からの救済策でした。しかも釈迦による「苦の原因は心のあり方にある」ということに問題を絞っての解決策でした。
・現代においての老人の生き方は別な回答がいると思います。ただ一律にこれだと言うのは危険な気がします。曖昧さは多様性からきているとも言えるからです。 周囲の老人を見てみますと、下記のような種類の生き方をしている老人がいます。
●老人の多様な類型
①現役時代に働き詰めだったので、老後は旅行や好きなことをして楽しく暮そうとする人。
②苦しい家計をカバーするために極力働こうとする人。
③家計面、健康面、生きがい面など多面的に考えて、仕事をある程度やり、趣味の活動や社会貢献などを適切な割合で行おうとする人。
④孫の世話に時間の大半を投入する人。
⑤家族の介護に忙しい人。
⑥病気になって入院したり自宅で療養したりしている人。
⑦思索の時間ができて、自分の人生や生と死などについて思いを巡らす人。なお、この種類の人には2つのタイプがあるように思います。人生や命に特別な意味など無いと考える人と、何か価値ある人生を送りたいと考える人の2つです。
⑧自分の人生や生と死などについて全く考えない人。
⑨いろいろな面(現役時代にやってきた仕事の延長線上の面、第二の人生で取り組もうとする自己実現や社会貢献の面など)でまだまだ頑張ろうとする人。
⑩老化に伴う体力・知力の低下についてやむを得ないと認識し、気持ち的に現実のこの世から去って行きつつある人。
・これらの類型は一つだけで存在するのではなく、一人の老人の中にいくつかのものが混在して、しかも濃淡がかなり違う形で存在するのでしょう。どの要素を多く持って日々過ごしているか、過ごしていこうとしているかは各自の選択によるものと思われます。
●釈迦の遺言
・釈迦は死の直前、弟子のアーナンダの質問に答えて、「自灯明、法灯明」の教えを説きました。「師(釈迦)が亡くなった後は誰を頼りにしたら良いのですか」という問いに対して釈迦は「自分自身を頼りなさい。法(真理)を頼りにしなさい」と答えたという、あの有名な話です。
・各人が他人に頼らずに自分自身で考え、正しい普遍的なものに基づいて判断して、老人としての生き方をしていくことが大切なのでしょう。
●「法」についての理解深掘り
・「法灯明」の「法」について、おさらいをしておきます。なお、以下のことは植木雅俊著『仏教、本当の教え』から、私が独断で特に重要と思った点を抜粋し、文として繋いだものです。
“「法」と漢訳された「ダルマ」は、インド哲学の重要概念であり、多くの意味を有している。
ダルマは、語源的には「支える」という意味の動詞ドゥㇷリの名詞形で、「支えるもの」という意味である。事物を事物たらしめ、人間を人間たらしめ、社会を社会たらしめるものという意味であり、「真理」「道徳」「規範」「法則」「義務」「宗教」などの意味を持っている。さらには、そうしたことについて説かれた「教え」という意味でも用いられる。また、その「法」によってそうあらしめられた「事物」という意味も持っている。“
●「自灯明、法灯明」の「法」の解釈
・以上のように「法」は多くの意味を持っていますが、「自灯明、法灯明」の「法」について私は「真理。正しい普遍的なもの」と解釈するのが良いと考えます。宗教学者さんの解説では分かり易く「釈迦の教え」を説明しているものがありますが、いくら自分の覚ったことが真実だと思っても、釈迦が「自分の教えを頼りにしなさい」とは言わないように思います。「教えの根本である、真理を頼りにしなさい」と言うと思うのです。
●私自身の「老人としての生き方」の望み
・私は、老人が体力・知力的に次第に衰えていくのは止むを得ないと思いますが、やはり周囲に役立つ人間であり続けたいです。長くなった平均寿命、周囲に迷惑を出来るだけかけずに、皆に役立つように貢献していくということで、自分も満足感が得られ、周囲の人や物も喜んで、全体として幸せになるように思うからです。