高松塚古墳とキトラ古墳の魅力
●高松塚古墳
・高松塚古墳は石室の壁面に極彩色の壁画があることで有名です。50年以上前の1972年に発掘で壁画が発見され、ビッグニュースとなりました。
・壁画が発見された当時、古墳は竹が生えていた小山だったと記憶しますが、現在は奇麗に整備されて2段式の円墳であることがよく分かるようになっています。
・また、壁画はカビなどでの劣化を防ぐために文化庁による修復と保存管理が行われ、現在は年に数回一般公開が行われています。
・古墳の隣には高松塚壁画館があって、年末年始を除き、模写された壁画が見られます。北壁の玄武、西壁の男子群像・白虎・月像、女子群像、東壁の男子群像・青龍・日像、女子群像です。そして天井には星座の図が描かれています。なお、南壁に有ったはずの朱雀の絵は盗掘穴のために壊されていて、模写できなかったのだと思われます。
・これらの図の「現状模写」と「一部復元模写」が展示室の左右の壁面に掲げられて見応えがあります。「現状模写」は壁画が発見された時の姿をそのまま模写したもので、「一部復元模写」は剥落や汚れに若干の手を加えて模写したものです。水漏れによって壁面に付いたと思われる茶色い汚れがかなりの大きさで描かれ、その側に赤や緑や黄の色の服を着た人物や、四神の玄武や青龍などが描かれ、迫力があります。
・また、「飛鳥美人」と一般に呼ばれる西壁の4人の女子群像は、「再現模造模写」がされています。実物と同じように凝灰岩に漆喰を塗り、色鮮やかな絵が描かれています。
・そして棺が納められていた石槨(せっかく。一般的に石室より狭い)を復元した石槨模型が展示されています。模型に作られてある盗掘穴から石槨の中を覗き見た時、私は背中がゾクゾクとしました。恐ろしかったのではく、古代の墓の状況が真に迫って感動したのです。
・被葬者は分かっていません。天武天皇の皇子という説が有力とのことですが、決め手を欠きます。どうしてこのような立派な壁画のある古墳が造られたのか、はたまた他の天皇や権力者の古墳などではどうして壁画がほとんど発見されないのか、私にはそちらが気にかかります。
・高松塚バス停のところに国営飛鳥歴史公園館というものがあります。ここは現在(2026年7月)リニューアル工事中で入館できないのが残念ですが、高松塚周辺地区をはじめ飛鳥エリアの見所や歴史などをパネル展示しています。飛鳥に関する本なども置いていて、情報収集基地として役に立ちます。
●キトラ古墳
・キトラ古墳は高松塚古墳の南、約2キロメートルのところにある2段式の円墳で、高松塚古墳に続き、大陸風の壁画が発見されました。
・きれいに整備された古墳の周辺には、壁画の絵が描かれた乾拓板というものがあって、乾拓板に紙を載せ、鉛筆などでこすると簡単に拓本が作れます。
・古墳から少し坂道を下っていくと「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」があり、1階の文化庁キトラ古墳壁画保存管理施設では期間限定、事前登録制で実物の壁画を見ることが出来ます。
・地下1階の展示室ではキトラ古墳石室模型が展示され、古墳がどのようにして造られたのか工事過程を画像で教えてくれます。また、精密映像でキトラ古墳の壁画を見せてくれます。四神の青龍・朱雀・白虎・玄武、獣頭人身の十二支像、そして現存する世界最古の科学的なものと言われる天文図です。
・これら以外にも地下1階の展示室には興味深い展示がされています。例えば、古代遺跡の発掘や保存に関するパネル展示や、古渡(こわたり)や今来(いまき)など古代の日本へやってきた渡来人のことを説明し、今来の人たちが種々の技術を日本へもたらしたことの説明表示です。
・被葬者は特定されていません。高松塚古墳の被葬者かもしれないと言われる人も、キトラ古墳の被葬者候補と推定されていますので、両古墳はほぼ同時代に造られたものと言えます。
・四神の館に向かって左手の道を登っていくと展望台があり、北の方角に檜隅(ひのくま)の森や明日香村、そして畝傍山などが眺められます。檜隅は渡来系氏族の東漢氏(やまとのあやし)が住んでいた場所ですから、「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」の展示室にパネル表示されていた今来(いまき)の人たちの日本への貢献を改めて感じさせられます。
●画像
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